電脳世界のシンデレラ
汗ばんだワイシャツを不快に思いながら、ベンチに伏せっていると、線路がフェードアウトする暗闇に光が現れる。やがてそれは、ガタンゴトンっとけたたましい音と共に、ボクの前に流れ込んで来た。
「やれやれ、やっと来た……さて、帰るとするか」
ベンチから腰を浮かした瞬間、目の前に止まったそれから暗いホームに光が漏れる。
「あ……」ボクは思わず声を上げた。
両開きに開かれた扉の中に、押し込められた人の中に、見覚えのある少女が立っている。
「瀬堂 癒魅亜(せどう ゆみあ)……まるで、ネットの世界から抜け出して来たシンデレラだな」
ユークリッドの高校・数学を担当する女子高生教師、瀬堂 癒魅亜の姿がそこにあった。
(実物を見るのは初めてだが、確かにアイツが言う通りメチャクチャ可愛いな)
彼女は、緩いソバージュのかかった翡翠色のツインテールに、薄い紫色の澄んだ瞳をしていてた。
頭の古いボクには、それ等の色が、アニメやゲームのキャラクターのカラーにしか思えない。
ボクは邪な妄想などおくびにも出さない様に心して、電車のテロップに足をかける。
すると、彼女の周りに男たちが群がっているのに気付いた。
「や、止めて下さい。離して!」妖精の様に可憐な声が叫んだ。
「いいじゃねえかよ、癒魅亜ちゃん? 自撮りくらいさせてくれたってよお?」
周りを囲む男の一人が、スマホを片手にもう片方の手を、瀬堂 癒魅亜の肩にまわした。
「ほォ~ら、ロウ・アングル撮影!」男は、スマホを精一杯低い位置に構える。
「イヒヒヒ」「タッちゃん、よくやるなあ」「後で撮れた動画送ってくれよ」「OKジャン」
顔や腕にタトゥーの入った男たちが周りを囲み、それ以外の乗客は見て見ぬ振りをしている。
「嫌ッ! こんな事して、タダで済むと思っているんですか。警察呼びますよ!」
瀬堂 癒魅亜は、グレーに淡いピンク色のチャック柄のスカートを、必死に押さえつける。
彼女のスカートは、意外にも私立の有名女子高のものだった。
「ああん? オレっちは、自撮りしてるだけなんだぜェ? そこに偶々、癒魅亜ちゃんのスカートの中身が撮ったとしてだ。それは単なる偶然ってヤツだろ。なあ?」
「そうそう、偶然だぜ」「台風の時のニュースカメラだって、時々パンチラ写すもんな?」
男に相づちを求められた取り巻きたちが、一斉に頷く。
「ぎゃははは、そうだろそうだろ」「偶然映っいまったんなら、仕方ねえ夜な夜な?」
「とーぜん、イヒヒヒヒ」男たちが、意味のない下品極まりない笑いに包まれた瞬間……。
ボクの右手は、電車の扉が閉まる直前に、彼女の細い手首を握っていた。
「きゃあ!」瀬堂 癒魅亜は小さな悲鳴を上げ、ボクの懐へと転がり込む。
閉まった扉の向こうでは、頭に血の登った男共が、動物園のサルのように何やら喚き散らしている様子が見られる。
けれどもそれらは、容赦無く暗闇の彼方へと運び去られて行った。
「やれやれ、こりゃアイツらに恨まれたかな? この駅よく使うから、仕返しとかされなきゃいいケド」
ボクは、遠ざかっていく光を見ながら思った。
「あの……いつまで握ってるんですか。離して下さい」
ボクの頭一つ分くらい下から、可愛らしい怒りの声がする。
「あ。ゴ、ゴメンゴメン!?」ボクは右手は、瞬時に彼女から離れた。
「一本遅くなっちゃうケド、まずかった?」「どうして、わたしを助けたんですか」
ボクの質問に対する答えでは無かった。
「どうしてって。キミがガラの悪い連中に絡まれていたから……」
「……あんなヤツらに、わたしがひれ伏すとでも思っているんですか!」
翡翠色の髪の下からは、膨れッ面が顔を覗かせている。
「いや、まあ随分と困ってる感じがしたから……余計なお世話だったかな?」
ボクは、彼女の前髪に隠れた表情を見て驚いた。
「そう……よ。ど、どうして、余計な事を……する……」
瀬堂 癒魅亜の薄紫色の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちたいた。
「な、ななッ! 何も泣くコトは無いだろ……って、無理な話か。ついさっきまで、厳つい男共に囲まれてたんだ。随分と、怖かったんだろ?」
「な、泣いてません!? 恐くなんかありません!!」彼女は、口惜しさ一杯の泣き顔で叫んだ。
「……泣いてませんって言われても、おもいっきり泣いているんだがなぁ……?」
目の前の少女はどう見ても、顔を真っ赤にして子供の様にガン泣きしていた。
「泣いてませんったら、泣いてません!! わたしは、強くなくちゃいけないんです!!」
意外だった。動画で見る瀬堂 癒魅亜のイメージは、アニメかゲームのキャラクターみたいにどこか無機質で、感情を顕にして泣きじゃくるとは到底思えなかったのだ。
ボクは彼女に、ポケットからハンカチを取り出して差し出した。
瀬堂 癒魅亜はそれを、散々迷った挙句受け取ると、うつむいて涙を拭く。
けれども急に駆け出し、駅の改札へと続く階段を降りて行ってしまった。
「彼女、ここで降りて良かったのだろうか? ……まだ目的地の途中なんじゃ?」
瀬堂 癒魅亜の駆け降りて行った階段に、ボクも向おうとすると、そこから駅員が何人か上って来てボクに詰め寄る。
誰かが通報したらしく、ボクは彼女を取り囲んだガラの悪い一味と間違われたのだ。
結局ボクは、誤解を解くのに数十分の時間を要した。
前へ | 目次 | 次へ |