先生
幸か不幸か、ボクは瀬堂 癒魅亜と会う前に、彼女の過去についての情報を得てしまった。
「まさかユークリッドの元が、彼女がイジメられて学校に行けなくて、そんな妹を見かねた兄・倉崎 世判が立ち上げたサイトだったなんてな」
鳴丘 胡陽の言葉を信じるなら、そうなるのだ。
今や世界すら視野に入れ、教育を展開しようとしている『ユー・クリエイター・ドットコム』も、元はそんなちっぽけなサイトから始まったのだと、驚かされると共に別の難題をボクに突き付けた。
「それまでの学校教育で……彼女はイジメに会い、学校へ行くコトすらできなかった」
それまでの学校教育の象徴的存在でもある、『熱血教師』に憧れるボクにとって、それは不都合な真実だった。
「さて……彼女に、どんな顔で会うのが最適解だ?」
ボクの指が、最上階の瀬堂 癒魅亜の部屋のインターフォン野前で立ち止まっていると、いきなりドアが開く。
「もう! いつまで部屋の前で、立ってんのよ。早く入りなさいよ」
ウェーブのかかった栗色の髪の少女は、ボクを部屋へと引き入れた。
「書類は持ってきたんでしょうね? まったく、子供じゃないんだから」
今日の瀬堂 癒魅亜は、何時になく機嫌が悪かった。
「ああ、持って来ているよ。それで、授業の形式について……」
「それがね。社長からクレームがあったのよ」
瀬堂 癒魅亜は表情を歪めた。
現在、不機嫌なのは、それが原因らしい。
「クレーム? それって、キミがやりたがってるコトを、妨害するような?」
「そうよ! 久慈樹 瑞葉は、家庭教師なんて認めないって言ってきたわ!」
「やっぱ、男と女がふたりっきりはマズいと?」
「そ、そうよ? よく解ったわねえ」
瀬堂 癒魅亜は、真顔で答える。
流石にボク自身も、それは自覚していた。
無論、家庭教師という職業は、教民法が施行される以前の十数年前なら普通に存在していたし、男性の家庭教師が、親が留守の女子生徒の家に行くコトもあっただろう。
「キミの場合、影響力がハンパ無いからね。社長が心配するのも解るよ」
「どうかしら? わたしに言わせれば、自分が得たユークリッドって巨大企業の看板に、泥を塗られたく無いだけだわ」
確かにそれもあると思った。
「でも、久慈樹 瑞葉はキミのお兄さんの、親友だったんだろ? きっと、キミのコトを心配して……]
「アイツが、どんなヤツかも知らないで、適当なコト言わないで!」
瀬堂 癒魅亜の機嫌は、更に悪くなった。
「それでボクとの契約は、白紙に戻されたってワケか? 少しくらいの違約金は、発生するのか……」
「誰が白紙になったなんて、言いました?」
彼女に、ユークリッドの数学講師らしい口調で、問いただされる。
「え、そうなの? てっきり、今回の契約は、無くなるモノだとばかり……!?」
ボクは、自分の早とちりだと気付いて、顔が熱くなる。
「アイツが問題にしたのは、男女二人っきりってトコだけよ。簡単に言えば、アナタの仕事が大変になったってコト」
そう言うと、瀬堂 癒魅亜はソファーを立って、隣のスタジオ部屋の扉を開けた。
「ボクの仕事が……大変に!?」「ええ、そうよ」
すると扉の向こうから、ぞろぞろと何人もの少女たちが現れる。
「こ、この子たちは、一体!?」
現れた少女たちを見てみると、金髪で日に焼けた肌のライオンみたいな子から、白いモコモコ髪のおっとりした子、ピンク色の髪を宝石で飾った子など、様々なタイプの女の子がいた。
「今日から、アナタの教え子になる子たちよ。わたしもひっくるめてね」
「ボ、ボクの教え子だってェ!?」
思わぬカタチで、夢が現実へと変化する。
「当然、契約内容が替わるのだから、あなたにも断る権利があるわ。どうします、『先生』?」
瀬堂 癒魅亜は、ボクを先生と呼んだ。
「もちろん……受けるよ!」
ボクは、長年の夢であった『先生』としての第一歩を、こうして踏み出した。
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