変化するピンポン玉
煤(すす)けたピンク色のシャツに、灰色の短パンを穿(は)いたおじいちゃん。
正直、当時のボクが見ても、カッコいいとは思えないファッションだった。
「天気予報の姉ちゃんが、夜中までどえりゃあ降る言っとったわ。こんなトコおったら、風邪引くがね」
そのシャツさえも、雨に濡れ色が変わってしまっている。
「ココのスポーツセンターは、馴染みだでな。近所のジジババ連中と、ようゲートボールや卓球しとるんだわ。今日はこの雨だでよ。誰も来とらんが、卓球でもやって身体温めよまい」
おじいちゃんは、ボクを強引に誘うと、自動ドアを抜けて受付に立った。
「モチロン、ワシの奢(おご)りだでな」
500円くらいのお金を払って、緑色のネットとピンポン玉を受け取る、おじいちゃん。
2階に上がると、そこは体育館のような広いスペースで、卓球やバレーボールなんかが出来そうだった。
「おみぁーさん、名前教えてちょ」
倉庫に折りたたんで仕舞ってあった卓球台を開きながら、おじいちゃんが聞いて来た。
「……ズ……」
当時のボクが、精一杯口を開けようとする。
「ズ? ……名札見せてみィ?」
おじいちゃんが、右胸の名札を覗き込んで来た。
「御剣(みつるぎ) 一馬か。エエ(良い)名前やないか」
怒りもせず、おじいちゃんは卓球台の設置を続ける。
受付で貰ったネットを張り、黒板みたいな深緑の卓球台が完成した。
「ラケットは、自前だでよ。一個貸したるがや」
おじいちゃんは、ロッカーに預けていたクラッチバックから、卓球のラケットを2本取り出す。
「一馬は初心者やで、こっちのがエエじゃろ」
ボクに渡されたのは、馴染みのあるペンフォルダー型のラケットだった。
「ワシャ、こっちのがエエでよ」
シェイクハンドのラケットを、得意気にクルクルと回すおじいちゃん。
「ほいじゃ、早速始めるでよ。まずは、肩慣らしや」
白いピンポン玉を、軽く打って台にバウンドさせた。
……。
ボクも、なんとかボールに追いついて、撃ち返す。
多分、取りやすい球を打ってくれたんだ。
「オオ! エエで、エエで。一馬、卓球の才能あるわ」
本心なのか、おだてているのか、ボクを褒めるおじいちゃん。
2人だけのラリーは、しばらく続く。
「行かんがや!」
ラリーは意外にも、おじいちゃんのミスで終了してしまった。
「一馬は、なんぞスポーツやっとんのか?」
打ち漏らしたボールを拾って、返って来るおじいちゃん。
ボクは質問に、コクリと頷(うなず)いた。
「そいやあ、サッカーボール持っとったな。ワシャ、サッカーは、あんま詳し無いわ。ココら辺は、野球のが人気だでな」
……。
おじいちゃんの言う通り、名古屋では野球の方が人気スポーツだった。
「ま、まあ、たまには見るわ。野球もサッカーも、卓球と同(おんな)じ球技だでな」
おじいちゃんが、ピンポン玉を大きく空に投げ上げた。
「通じるモンが、あるかも知れんわ。例えば、ボールに回転かけるとかな」
落ちて来たボールを、サーブするおじいちゃん。
「うわッ!」
思わず、声が出てしまう。
ボールは左から右へと急激に曲がり、ボクの右横を通り過ぎて行った。
「ドヤ、驚いたやろ。野球やサッカーボールに、回転ようかけヘンケド、軽いピンポン玉だでよ。ワシみてゃーな素人でも、あやすく回転かけれるんだわ」
今度は、左から右へと変化し、ボクの左横を通過するピンポン玉。
「こんなんも、あるで」
「あッ!」
普通に打ったと思ったボールが、台にバウンドしてから急激に伸びた。
「トップスピンや。ほんでこっちが、バックスピン」
今度のサーブは、バウンドすると勢いを失くし、台の上で何バウンドかしてから転がってしまう。
素人のおじいちゃんが繰り出すサーブは、様々な回転であらゆる方向へと変化した。
それでもボクは、1本だけラケットに当て、相手コートにボールがバウンドする。
「もうひゃあ、対応したんか。そんなら、こりゃあ取れるか」
ボクの撃ち返したボールを、大きくラケットを振り上げて打ち返す、おじいちゃん。
「ああッ!」
打ち上がったボールが急激に落下し、コートにバウンドして跳ね上がった。
「今のが、ドライブだがや。びっくらこいたか。ガッハッハ」
豪快に笑う、おじいちゃん。
小学生のボクは、大きく頷いた。
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