翡翠色の髪
「これはまた、厳しいな。うっかりミスじゃなく、根本的に理解できていない感じだ」
水曜日に行った模擬テストを、自宅の和室に置いた簡易デスクに乗せ、1枚1枚確認するボク。
すでに採点を終えている回答用紙から、生徒たちの苦手な部分を見つけ出そうとしていた。
「アロアとメロエ……アロアはとくに、理解できていない部分が多いな。テミルも、1ヵ月前からほとんど学力が上がってないじゃないか」
何度見直しても、生徒の多くは一朝一夕で何とかなるレベルじゃ無い。
「久慈樹社長が、どんなテストを出して来るか知らないが、模擬試験だって基礎的な問題がほとんどだ。それより難しい問題になるのは、目に見えている」
伸びをしたボクは、そのまま後ろに倒れて畳の上に寝転がる。
正方形の格子に組まれた、天井の美しい木目が目に映った。
「今さらながら、ボクには分不相応な家だな」
部屋には、美しく彫られた欄間があり、床の間には立派な木材が柱として使われている。
リビングのフローリングの下にも床暖房があったり、2階にも大きなベランダが備わってたりする。
かつて芸能一家が住んだ高級住宅に、ボクは暮らしているのだ。
「アロアとメロエには悪いが、この家を維持して行くのはムリだろうな。テミルにも悪いが、もっと安い物件を探して貰わないと……」
すると、ホームセンターで買った簡易デスクに置いた、スマホがブルブルと震える。
ボクは、ぜんぜん鍛えてない腹筋を使って、必死に起き上がった。
「ユミアか。こんな時間に、どうした?」
電話は、ボクの生徒でもあり、雇い主でもある栗毛の少女からだった。
和室に時計は置いてなかったが、リビングでコーヒーを煎れたときはまだ、8時前だった記憶がある。
「なに、呑気なコト言ってんのよ。模擬テストの結果は、散々だったんでしょ!」
「あ、ああ。まあそうだが、それが……」
「だったら、さっさと今すぐ出勤なさい。いいわね」
「今すぐって、もしかして?」
「成績が悪い生徒は、補修するしか無いじゃない!」
ユミアはまるで、先生のように言った。
カバンに回答用紙を押し込んだボクは、慌てて家を駆け出る。
久方ぶりに、朝のラッシュ真っただ中の地下鉄に乗って、仕事場である円筒形の超高層マンションへと向かった。
「それにしても、地下通路を地下鉄の駅にまで伸ばすなんて、ユークリッドの財力には恐れ入るな」
天空教室のある超高層マンションから、地下鉄の最寄り駅へと延伸された通路。
警備員に警護された特別改札から、ボクはVIP(ビップ)の如く中へと入る。
「ただの地下通路かと思いきや、この先は地下商店街で、その向こうにはライブステージのドームがあるんだものな。大したモノだよ」
アイドルのライブがあるときだけ一般開放される通路を横に抜けて、地下駐車場へと出た。
「それにしても、アイツらの方から声をかけられるなんてな……」
透明なガラスのチューブを昇る、高速エレベーターのゴンドラから、動き出した都会の街を太陽が赤く照らして行くのが見える。
ユミアの話では、補修は多く生徒たちも賛同した意見だった。
「もう、遅い!」
天空教室の扉が、勝手に開く。
部屋の中から現れた少女は、ボクの手首を掴んで引っ張り入れた。
「お前たち、全員揃ってるのか?」
「当たり前じゃん、先生。アタシら、ここで生活してるんだからさ」
「全員、揃っているのですゥ」
「確かに、レノンやアリスが起きているならそうか」
「なんだよ、それ。失礼しちゃうな」
「ユ、ユミアちゃんだって、お寝坊さんなのですゥ」
「わ、わたしは、ゲームやってなきゃ、普通に起きれるわよ!」
「オー、ノー、ユミア。貴女が深夜遅くまで、ゲームをしない日なんてありますか?」
ユークリッドの英語の教師である、マーク・メルテザッカーが言った。
「う、うるさいわね。わたしも最近はそこまで、ゲームにハマってないんだから!」
「みんなと集団生活してると、深夜にゲームするのも厳しいモノね」
ライアが、正論で指摘する。
「そ、それもだケド、わたしだって、気を遣って……」
「解ってるわよ、ユミア。貴女は、優しいコだってコトもよ」
「な、なによ、急に。別に、優しくなんかないわ」
「アッハハ。ユミア、照れてる!」
「うっさい、バカライオン。さあ、補習を始めるわよ」
「補習を始めるって……ユミアがァ!?」
「ユークリッドのアイドル数学教師が、直々に数学を観てあげるんだから、感謝なさい!」
栗毛の少女の髪は、翡翠色に変化していた。
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