迫り来る死
目の前で、崩落する壁や床。
瓦礫の雨と土煙りの霧の中、ボクは必死に自分を覆う建物の残骸を退け続けた。
「し、下に退くしかねェ!」
「わ、わかりました!」
階段の手すりにつかまって、その向こう側に身体を落とす。
「ガハッ!」
再び激痛が体中を駆け巡ったが、死ぬよりはマシだ。
ほぼ同時に、今までいた場所が、巨大なサブスタンサーによって崩れ去る。
「『ゲー』だ。ゲーが、襲って来やがった!」
ギムレットさんが、叫んだ。
見上げると、崩れ落ちた1階の床の隙間から、不気味な姿のサブスタンサーが顔を覗かせていた。
ゼーレシオンよりもかなり巨大で、下半身は緑色のカエルを彷彿とさせる4つ足となっている。
そこから女性のような上半身が生えているが、顔全体が巨大な眼球になっていた。
翡翠(ひすい)色の人工筋肉に、茶褐色の装甲はミケーネ文明の兵士の鎧を思わせる。
頭部から伸びた頭髪は、カエルの卵のような半透明になっていた。
「あ、あれが、ゲー……」
『ゲー』とは恐らく、ギリシャ神話に登場する大地の女神ガイアの、古い時代の呼び名だろう。
異形の姿が、それを物語っていた。
「古い時代の概念かも知れませんが、量子コンピューターが手足を生やして動き回るなんて、思いませんでしたよ」
「オレも同感だ……グワッ!?」
ゲーの長い腕が、ギムレットさんの身体を、階段の踊り場ごと押し潰す。
「な!?」
一瞬の、出来事だった。
今まで、数多のアーキテクターを倒して来た屈強な男が、一瞬にしてこの世を去ってしまう。
思えば無数のレーザーが飛び交う中を、誰も死なずに生き延びられたコトの方が、奇跡だったのだ。
「宇宙斗、シャラー・アダドにアクセスができたわ。こちらに、向かわせます」
階段の下から聞こえる、黒乃の声。
まだ上でなにが起きたか、彼女は知らない。
「黒乃……ギムレットさんが……」
目の前で、ゲーの操るサブスタンサーの巨大な一つ目が、ボクを睨んでいた。
「ギムレットが、どうしたの?」
「……死んだ……ボクの目の前で……」
瓦礫の山から滲み出ている、黒みがかった血液。
身体の痛みなど、とっくに忘れていた。
人事ではない。
子供向けロボットアニメの敵のようなゲーが、ボクの命まで刈り取ろうとしていた。
「……クソ、こんなところでッ……」
昔やっていたアクションゲームと違って、命(ライフ)は1つしか無い。
FPSと違って、死んでもリスポーンできるワケじゃない。
「黒乃、まだか!?」
「……え、ええ。まだ……」
冷静だったミネルヴァさんの声から、感じられる動揺。
崩れた階段の吹き抜けた空間に、器用に四肢を踏ん張らせる、ゲー。
ギムレットさんを潰した血に濡れらた拳を、大きく振り上げた。
「ゼーレシオン!!」
目を閉じたボクは、今まで力になってくれたサブスタンサーの名を叫ぶ。
ゼーレシオンを降りた格納庫まで、どれだけの距離があるか解らない。
……なにも起きるハズは無いと、解っていた。
激し過ぎる轟音が、頭の外で鳴り響く。
『ゴメン、黒乃……ボクは、ここまでみたいだ……』
ミネルヴァさんでは無い、本物の時澤 黒乃によって導かれた、1000年後の未来。
火星のフォボスで目覚め、セノンと出会って黒乃の死を知り、MVSクロノ・カイロスの艦長となって木星圏を駆け巡った。
火星でアポロさんやメリクリウスさんと会議をし、時の魔女の叛乱によって操られたクーリアと戦い、大勢の人々の死を目の当たりにする。
何処か現実離れした経験が、ボクを死の感覚から遠ざけていた。
けれども、そんなご都合主義な話など、現実の世界には無い。
『もう、娘たちにも会えないのか……艦長としての役目も、終わりだな……』
アクロポリスの街で死んだ大勢の人々と同じように、ボクの上にも死が降り注いだ。
……ただ、それだけのコトなのだろう。
『セノン……キミを置いてけぼりにしてしまった……』
最後に脳裏に浮かんだのは、栗色の髪の少女の優しい微笑みだった。
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