愚かな男
……何も存在しない、真っ白な眩い空間。
誰かが、ボクの前を歩いていた。
ボクは誰かを、必死に追っている。
「……ハア……ハアッ」
自分自身の、粗い息遣いが聞こえて来た。
全身に軽く汗が滴って、周りからは草木の匂いが漂って来る。
紫陽花を連想させるチェック柄のスカートが、目の前で快活に揺れていた。
次第に、鮮明(クリア)になる景色。
「ねえ、だいじょうぶかしら。息が切れているわ。少し休みましょうか?」
紫陽花色のスカートの持ち主が、振り返って言った。
少女の頭からは、4本の髪の束が長く伸びている。
吊り上がった切れ長の目に、スラリと通った鼻筋。
繊細で透き通った肌で覆われた全身は、理想的なプロポーションをしていた。
「あ、ああ。これくらい、なんともないよ。廃坑は、まだ先?」
「いいえ、もう少しよ」
ボクは、少女の前で強がって見せた。
引き籠りで鈍った身体を無理やり奮い立たせ、尚且つそれが目の前の少女に悟られないようにして、歩みを進める。
少女は右手に、街中で買ったアイスクリームの箱を持っていた。
暑い陽射しに漏れ出すドライアイスに、ボクは60人の少女たちの無邪気な笑顔を重ねる。
「そう言えばアイツら、全員無事でいてくれたかな……」
「ん、なにか言った?」
「イヤ、なんでも無いよ」
何となく、ボクにはわかっていた。
今、夢を見ているのだと。
小高い山の木々の隙間から見える、懐かしい街並み。
ボクが生まれ育った街であり、ボクが過去へと置き去りにした 街でもあった。
ボクの両親は、これからどうなったのだろうか?
友人と呼べる存在など居なかったボクには、それだけが気がかりだった。
「見えて来たわ。アレよ」
立ち止まったクワトロテールの少女が、左手で指さす。
「ああ……」
見覚えのある廃坑の入り口に、短くそう答えるボク。
ボクは知っていた。
これから、どうなるのかを。
ボクを未来へと導いた少女の、悲惨な未来を……。
「く、黒乃……」
「ん、なにかしら?」
壊れて錆び付いた鍵を、外そうとしている少女がぞんざいに答える。
「キミはもし、自分が未来に行けなかったとしたら……どうする?」
明らかに、あの日とは異なる質問をボクはした。
「それは、死んでるってコトよね。だったら、どうしようも無いじゃない」
彼女は、ボクを未来へと導いた冷凍カプセルに座る。
そう、ボクたちはいつの間にか、廃鉱の奥深くの冷凍カプセルの設置場所にいた。
「キミらしい答えだよ、黒乃。でも、ボクが言いたいのは、そうじゃない。もし今、キミが未来で死ぬ運命なのが解ったとしたら、それでもキミは……」
「この冷凍カプセルに、入るのかですって?」
「……そうだ」
恐らく答えは、聞くまでも無いだろう。
「もちろん答えは、イエスよ。矛盾してる考えだケド、もし未来で死ぬ運命にあるとしたら、この冷凍カプセルに改良を加えればいいだけの話だわ」
黒乃は、1000年前の現実と同じように、身に纏っていた衣類を次々に脱ぎ捨て始める。
「止めろ……止めてくれ、黒乃!」
けれども彼女を掴もうとしたボクの腕は、彼女の身体をすり抜けた。
「わたしが1000年後の未来に辿り着けず、このカプセルで死んだとしても、それは運命よ」
「運命に従うなんて、キミらしくも無い。だったら、ボクのカプセルとキミのを交換しよう。そうすれば、岩に潰され死ぬのは……」
「それは出来ないわ、宇宙斗艦長」
黒乃の黒かったクワトロテールが、急にパッションピンクのロール髪へと変化する。
「だってアナタは、わたくしの最愛の想い人なのですから……」
「キ、キミは、クーリア!?」
すると辺りの景色が、燃え盛る火星のアクロポリスの街並みになった。
眼下で、炎に焼かれる人々。
「艦長……どうしてわたくしを、選んではくれなかったのです」
「ボ、ボクは、キミには相応しくない男だ」
「またそうやって、決断から逃げるのですね」
クーリアの美しい顔が、涙に濡れている。
思えばボクは、なに1つ自分では決断して来なかった。
黒乃によって未来に導かれ、セノンの願いでみんなを助け、ヴェルの要請で艦長となっただけだ。
時の魔女に操られたクーリアに、寄り添うコトすらできなかった。
「ボクは……なんでこんなに愚かなんだ……」
ボクの身体は、宇宙を漂っていた。
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