英雄たちの記憶
同じ世代の者にとって、倉崎 世叛と久慈樹 瑞葉は英雄だった。
彼らは時代の寵児と持てはやされ、沢山のフラッシュを浴び、数々のメディアを賑わせる。
英雄への憧れは、当時アンチだったボクでさえ抱いていた感情だった。
「けれども、彼らの成功はね。それ以上の誹謗や中傷を生んだわ」
ギムレットの注がれたグラスを見つめる、鳴丘 胡陽。
「英雄じゃない人間は、男だとか、日本人だとか、英雄の所属するグループに無理やり自分を押し込んで、そのグループが優れているからと安寧を得るんですよ」
少しばかり、酔いが廻って来た気がする。
「『スポーツ競技において、男の方が女よりも優れた記録を出している』なんて台詞、よく聞きました。それを自慢げに語るヤツ本人は、記録どころか競技すらして無いのに」
愚痴っぽくなったボクは、ソルティドッグを注文した。
「『日本人は、多くの優れた発明をしている』。でも、そんなコトを言う人間の殆どは、『優れた日本人』では無さそうね」
話題を合わせてくれた彼女は、少しだけ酒を口にする。
「耳の痛い話ですな……」
バーカウンターの向こうで、ボクが飲み終わったグラスを磨きながら、マスターが言った。
「我々の世代も、高度経済成長やバブルを体感できた、最後の世代なんですがね。若い世代は定職にも就かず、堕落した人生を送っていると言う、同年代も多いのですよ」
「確かに、よく聞く話ですね」
ボクは、グレープフルーツの爽やかなカクテルを飲み干す。
「でもね、そんな彼らの多くは、ただサラリーマンとして会社にいただけの人間なんです」
「ただ……会社に?」
それはボクにとって、意外に思える台詞だった。
「それもよく聞く話だわ。大した実績も上げていないのに、日本の高度経済成長に乗っかり高給を取って、会社にしがみ付いたまま定年を迎られた世代。そんな彼らの常套句が……」
「自分たちの『世代』は、優れていた……ですか」
つまり世の中は、凡人で溢れかえっているというコトだ。
「でも、あの2人は違った」
鳴丘 胡陽は、2人の英雄の物語を語り始める。
「口先だけの隠れ蓑なんかじゃ無く、本当の意味で世の中を変えたのよ」
彼女の口から紡がれる物語に、ボクは口を動かすのを止めた。
~物語は、過去へと移る~
その中身の多くが、担任教師である鳴丘 胡陽の眼が届く距離の外で起こっていたコトを、ご了承願いたい。
「え~っと、今日からキミたちの担任を務めるコトとなりました、鳴丘 胡陽と言います」
深緑色の黒板に、白いチョークで名前を書く、初々しい新米教師。
「今は学校も、色々と揉めていて大変なコトになっちゃってるケド、キミたちは周りの情勢に流されずに、しっかりと勉学に励むように」
黒く艶やかな髪を靡かせながら教壇に立つと、生徒たちと向き合った。
「うわ、先生すっごい美人だ」
「コハルちゃん、メッチャ巨乳じゃん」
「まったく、何処に行っても男子はこれだから……」
「コラコラ、私語は慎みなさい。キミたちはもう、高校生なのだから」
「先生、しつもーん。彼氏は居るんですか?」
「いい加減になさい。キミは久慈樹くんだったわね。これ以上ふざけていたら、後で職員室に来てもらうわよ」
「喜んで、伺わせていただきますよ。美しい女性の誘いを断るなんて、ボクには出来ませんからね」
サラサラとした髪の生徒は、口元に微笑を浮かべる。
「久慈樹、お前デートの誘いと勘違いしてんじゃね?」
「ま、気持ちは解からんでもねェケドよ」
「く、久慈樹くんまで……やっぱ男子って、巨乳が好きなんですか」
「美しい女性は、全て好きですよ。もちろん、貴女もね」
言われた女子生徒の顔は真っ赤になり、教室にドッと笑いが巻き起こる。
久慈樹 瑞葉は、一瞬にしてクラスの中心となり、人気者となった。
「コ~ラァ、あなたたち静かに。静かになさい!」
鳴丘 胡陽は、必死に生徒たちを落ち着かせようとする。
けれども、一旦騒ぎ始めた高校生たちの騒ぎは、中々収まらなかった。
「まったく……」
新米教師が呆れ顔で教室を見渡すと、一人だけ喧騒を外れ、窓の外を眺めている生徒が目に入る。
その生徒こそ、ユークリッドの創始者だった。
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