遺された遺産
「悪いんだがまず、本社ビルに寄ってくれ。キミに会わせたい男が居るんだ」
久慈樹 瑞葉は、運転席の左側のドアを開けて車を降りる。
ボクも右側のドアを開けて車外に出ると、カーディーラーのショールーム顔負けの高級車がズラリと並んでいた。
「どうやら既に、来ている様だね。ホラ、この車さ」
「これはまた、凄まじいデザインの車ですね……」
目の前にあったのは、真っ白に輝くボディの高級外車で、ドアやフロントガラスの縁取りに金色のエングレービングが施されている。
「彼は、ワシントンで知り合った投資家でね。株やFXのトレーダーなんだ。自らファンドも立ち上げていて、ウチの株の3パーセントくらいは保有しているハズさ」
「ユークリッドの株と言ったら、今や相当な値段ですよね。それを、3パーセントも保有しているだなんて、とんでもない資産家の方じゃないですか!?」
ボクと若き社長は既に、エレベーターに乗っていた。
天空教室のある超高層マンションのそれとは違って、外部の様子を伺い知るコトは出来ない密閉空間のゴンドラが、最上階を目指す。
「フフ、3パーセントの株式なんて、大した資産では無いよ」
「久慈樹社長からすればそうかも知れませんが、一般人からすれば一生働いても手に入れられない金額ですからね。配当だけで、十分暮らせるでしょう?」
「そうかもな。だがキミは、一般人が一生働いても手にするコトが出来ない資産を、手にするチャンスを持ち合わせているじゃないか?」
「ボ、ボクがですか? 例え高額宝クジに当選したって、現在のユークリッドの株式の3パーセントの額には、匹敵しませんよ」
「ヤレヤレ、キミはまだ気付いていないのかい」
サラサラヘアの実業家は、肩を竦めて微笑んだ。
「瀬堂 癒魅亜(せどう ゆみあ)だよ」
「ユミアが、どうかし……」
そう言いかけて、思わず言葉を詰まらせる。
「やっと、気付いた様だね。彼女は、ユークリッドの創始者である、倉崎 世叛の妹だよ」
愚かなボクは、ようやく社長の言わんとするコトを理解した。
「アイツは自分の妹に、ユークリッドの株式の多くを遺したんだ。遺産相続による相続税や、株の追加発行によって比率は下がってはいるが、それでも20パーセントは降らない株式を、ユミアは保有しているのさ」
ボクは、言葉を失う。
静音性の高いエレベーターの、駆動音だけが聞えて来た。
「キミがマスコミの報道する通り、彼女を手に入れられれば、彼女の資産はキミのモノにもなる」
「そ、そんなコト……彼女は、ボクの生徒ですよ!」
「だがね。もし仮に、彼女がキミに恋心を抱いるとしたら、キミは……」
その時、エレベーターが屋上へと辿り着き、目の前のドアが開く。
「さて、社長室に彼が待っている。行こうか」
「はい……」
社長は、マホガニーの扉を開いた。
「オー、久慈樹社長。お待ちしてマーシタ」
ドアが開くなり、そこに居た金髪の男が大袈裟なジェスチャーで、自分の感情をアピールする。
「マーク、日本に来た感想はどうだい?」
「イエース、昨日おスシ食べたね。トテーモ、美味しかたよ。ヤハリ本場モン、アメリカのとは違うネ」
男は、社長とハグをした。
背は、久慈樹社長よりも少し高く、金髪には軽くウェーブがかかっている。
結婚式の披露宴でしか見ないような、真っ白なスーツを着こなし、サファイアブルーの瞳は好奇心に満ちていた。
「紹介するよ、彼はマーク・メルテザッカー。来週から、天空教室の英語の教師をやって貰うつもりだ」
当初はボクが、全ての科目を受け持っていた天空教室。
理科・科学の鳴丘 胡陽(なるおか こはる)、社会・歴史の枝形 山姿郎(えがた さんしろう)に続き、3人目の教師がボクのポジションを奪うコトが確定した。
「アナータ、知ってますヨ。今、メチャクチャ注目されてる人!」
「そ、そんなつもりは無いですが、よ、よろしく……」
「でもアナータ、ユミアさんのコト狙ってるね。でも、それはワタシも同じよ」
「……え?」
「彼女、ベリベリィキュートね。彼女となら、アセット増やせそーよ」
マークは、軽やかな口調でボクを抱擁する。
アセットとはもちろん、『資産』のコトだった。
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