ギムレット
薄暗い店内には、バーカウンターとその前に並んだ椅子があって、ムーディーな間接照明が壁を照らしている。
外界の喧騒と隔離された空間は、ほんの一部に玉砂利が敷かれた箱庭があって、そこだけ和の趣(おもむき)があった。
「変わったお店でしょ」
「ええ、洋風であるハズのバーに、日本の庭が見事にマッチしている」
自分の下した余りにストレートな評価に、少し気恥しくなる。
「床材から内装から小物に至るまで、とことんこだわっているの。ね」
鳴丘 胡陽が、程よく香水を香らせながら言った。
「こだわりは、バーテンダーの宿命みたいなモノです」
カクテルシェイカーが、カラカラと音を立て踊る。
「そんな人種が、こんな職業に就きたがるのでしょう」
シェイカーからグラスに注がれた、白濁色の液体。
「ギムレットです」
マスターは輪切りのライムを添えると、鳴丘 胡陽の前に差し出した。
「ありがとう……」
けれども彼女は、グラスを引き寄せただけで口を付けなかった。
もしかして、ボクを待ってくれているのかと思い、口を開こうとした時……。
「実はね。あなたを呼んだのは、聞いてもらいたい話があったからなの」
「ボクに……何の話でしょうか?」
「わたしの、教え子たちの話よ」
マニキュアで彩られた指が、グラスの淵を撫でる。
「もしかして、倉崎 世叛と、久慈樹 瑞葉のコトですか」
「察しがいいわね。その通りよ」
「以前にカフェでお会いした時、彼らは友人だったと仰ってました」
「友人……そうね。友人関係と言っても、色々なタイプがあるのだから、そのどれかには当てはまるのかも知れないわ」
「そんなに複雑な間柄だったんですか?」
「どちらも並外れた感性と、才能の持ち主だったからね」
それは、後に彼らが残すコトとなる、実績が物語っていた。
「お互いに強烈な個性を持った二人が、互いに相容れない部分も残しながら手を取り合った。それで生まれたのが、ユークリッドよ」
彼女はやっと、カクテルに手を伸ばす。
「でも、片方の天才はもうこの世には居ない。今のユークリッドは、久慈樹 瑞葉の私物と化してしまっているわ……」
鳴丘 胡陽は、久慈樹社長の会社運営を、快くは思っていなかった。
「スクリュードライバーです」
「ど、どうも」
口の渇きを感じていたボクは、口当たりのいいオレンジジュースを一気に飲み干す。
「あの……お聞かせ願えないでしょうか。彼らがどんな生徒で、どうやってユークリッドを作り上げて行ったのかを」
「ええ、聞いてもらいたい話と言うのは、まさにそれよ。その前に、何か頼んだら?」
「え、はい。それじゃ、モスコミュール」
勢いに任せて、再び聞いた事のある名前をオーダーした。
「これは不器用で、傲慢で、臆病で、それでも神に類まれな才能を与えられた2人の男の子の、可笑しな友情のお話よ」
揺ら揺らと微睡(まどろ)む意識が、彼女の紡ぐ物語に引き込まれて行く。
「わたしが始めて担任を受け持ったのは、まだ教育民営化法案が施行される前の不安定な時期だったわ」
その時のコトは、ボクも生徒側の視点から記憶していた。
「教民法を覆せる最後のチャンスの年で、先輩の先生たちは、本来であれば公務員に許されていないハズの、ストライキまで決行したわ」
それも覚えている。
「ボクたち生徒は何日も、自習と描かれた黒板を前に授業を受けました。ただの自習ですからね。周りじゃ、先生なんて必要ないって議論が、巻き起こってましたよ」
「哀しい現実だったわね。そう言えばアナタも……」
「ええ、倉崎 世叛と久慈樹 瑞葉。二人の英雄とは、年齢だけは同じなんです」
「人は、英雄との共通点を見つけたがるモノね」
「仕方ないですよ。誰もが英雄になれるワケじゃありませんから」
ボクはモスコミュールも、一気に飲み干した。
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