トロイアの女神
「マ、マズイぞ。このままじゃ、直ぐに追いつかれる!」
アーキテクターの様に加速する手段を持たないボクは、小惑星の中心の小さな重力に身を任せるより他なかった。
「わたくしは、狩りの女神ですよ。精々逃げ惑いなさい、獲物たち」
加速して距離を詰める、イーピゲネイア。
「こっちも、加速するしかねえか」
「でも、ここは街の上空……」
「加速し過ぎたら、地面に激突して死んじゃうよ」
真央とヴァルナとハウメアが、落下速度を上げるのを躊躇(ためら)う。
「所詮は、人間と言ったところですね。アーキテクターを生み出した創造主であっても、能力は今や我々より遥かに劣るのですから」
狩りの女神は既に、ボクたちの目の前に居た。
彼女が身に纏う、ギリシャの民族衣装であるキトンは、丈が短く黒い。
ヒダには金色の刺繍による縁取りがされており、それを風に靡かせ宙を漂う。
「随分と、ギリシャの女神であるアルテミスとは、雰囲気が違うな」
「アルテミスは本来、リディア王国などで崇められた女神です。アレスと同じ、アナトリア(現トルコ周辺)が出自の神格なのですよ」
「成るホド……それでか」
「何がそれでなんですか、おじいちゃん?」
「アルテミスとアレス……トロイア戦争では共に、ギリシャ側ではなくトロイア側を支援した。それは本来、二つの神がギリシャの神では無かったからだ」
「それ、マジかよ!?」
「ホントみたい。それにアルテミスの兄弟とされるアポロンや、アレスの愛人だったアフロディーテも、トロイア側を支持している……」
「つまりトロイア戦争ってのは、ギリシャの神々とトロイアの神々の戦争でもあったんだ」
三人のオペレーター娘が、コミュニケーション・リングの知識を使って答えを導き出す。
「面白い考察でしたが、今となっては真実など解りはしません。そろそろ、終わりに致しましょう」
イーピゲネイアが、両手を前に出し広げる。
「ヤバい、撃って来るぞ!」
「ど、どうしよう、マケマケ」
「チューナーで、防ぐしかねえ」
「無駄ですよ。例え遠隔操作型で無くとも、貴女たちのチューナーは既に無力化されてます」
「そ、そんなハズは……カエサル・ナックラー!!」
真央が、両腕の拳にはめたチューナーの名を叫んだが、反応しない。
「ウ、ウソ。ペレアイホヌアッ!!」
ハウメアも、両腕のチューナーを起動させようとしたが、火炎弾は出なかった。
「うわあ、アクア・エクスキュート!?」
一度は女神の手に陥ちたヴァルナのチューナーが、再び女神に服従する。
「クソ、こんな!?」
「きゃああ!!」
水か液体金属の様に見える、ナノ・マシンのチューナーは、ボクたちをグルグルと縛った。
「随分と、歯ごたえの無い獲物ですね。残念です……」
狩りの女神の両手が、白く輝く。
十本の指から、光の閃光が矢の如く放たれた。
「こ、こんなところで……」
「お、おじいちゃん!!」
狩りの女神の光の矢が、ボクたちを刺し貫く……かに思われた。
「クッ……これは?」
けれども、爆風に包まれたのはイービゲネイアの方で、ボクたちはヴァルナのチューナーから解放される。
「な、なんで助かった?」
「お、おじいちゃん、アレ見てください!」
栗色の髪の少女が、指さす方向。
「トゥ、トゥラン、来てくれたのか!」
そこにいたのは、プリズナーの相棒のアーキテクター、トゥランの姿であった。
「遅くなって、悪かったわね。わたしのアフォロ・ヴェーナーじゃ、流石に大きすぎて惑星の中には入れなかったのよ」
クワトロ・テールのアーキテクターが、優雅に空を舞っている。
「トゥラン……貴女も、女神の名を冠するアーキテクターなのですね」
イーピゲネイアが言った。
「人間に反旗を翻すほどのアーキテクターに、共通点を挙げて貰えて光栄ね」
「え、そうなのか!?」
初耳だった。
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