アクア・エクスキュート
小惑星・パトロクロスの全てを統括する、人工太陽の内部に作られた指令室に緊張が走る。
「人間風情が、本気でこのイーピゲネイアに勝てると思っているのですか?」
金髪の髪を手櫛で梳かしながら、見た目は人間の美少女にしか見えないアーキテクターが言った。
「たとえアーキテクターと言えど、色んなタイプがあるぜ。アンタは見たところ、それ程戦闘に特化したタイプには思えねェな」
「そうやって直ぐに主観で判断するところが、人間の愚かな部分であると気付きませんか?」
イーピゲネイアは、右手から閃光を放った。
「真央、避けろ!」
「うおォ!?」
「マケマケェーーーーーッ!?」
一瞬の出来事に油断し、防御体制を取れない真央。
けれども閃光は、真央の前で拡散し四方に飛び散った。
「まったく、真央ったら油断し過ぎ……」
ボクの後ろから、ボソッと声が聞こえる。
振り返ると、水色のセミロングの髪の少女が立っていた。
「わたくしの攻撃を……小賢しいですね」
少しだけ表情を歪める、元会長アガメムノンの娘。
「サンキューな、ヴァルナ。助かったぜ」
礼を言う真央の身体には、アクアマリン色の水が纏わりついていた。
「ヴァルナ、この水はキミの仕業なのか?」
「そう、わたしのチューナー……『アクア・エクスキュート』」
真央の身体を覆っていた水は、ヴァルナ・アパーム・ナパートの元へと戻って行く。
「水に見えるケド、ナノ・マシンのアーキテクターの集合体……」
「ナノ・マシンって、人間の血管にすら入り込めるくらい、微細な機械のコトだよな。千年前の二十一世紀の世界じゃ、主に医療分野で開発が進められていたよ」
「そう。それは今も同じ……」
「え?」
ヴァルナは視線を、倒れている黒き英雄へと移した。
「イーピゲネイアに刺された、デイフォボス代表の脇腹の傷が!?」
「見る見る塞がって行くのですゥ」
「フォボスのプラント事故で重傷を負った、キミとハウメアの傷が、いつの間にか完治していた理由も解った気がするよ」
「ちなみにこんなコトもできる……」
ヴァルナが腕をかざすと、水銀のような流体金属になった水が彼女自身を覆う。
「うわあ、セノンになったぁ!?」
「どう、驚いた?」
突然現れた、もう一人のセノンがニコリと笑った。
「もう、ヴァルナ。それ止めてって、言ってるでしょ」
「セノンが、セノンに対して怒ってる」
「おじいちゃん、今は戦いの最中だよ!」
「そうだった……」
ボクたちは、イーピゲネイアに視線を戻した。
「人間にしては、面白い芸当ができますね。ですが、わたくしには無効です」
イーピゲネイアのターコイズブルーの瞳が、紅く輝く。
「うぐ……グア……あッ!?」
もう一人のセノンが、いきなり苦しみ始めた。
「ど、どうしたんだ、ヴァルナ!?」
「ナノ・マシンを、我が支配下に置きました。今、彼女は、呼吸することさえ困難なハズです」
セノンの姿から、元の液体金属に戻ったチューナーが、ヴァルナの顔を完全に覆う。
「やめろォ!!」
真央が、自らのチューナーであるカエサル・ナックラーを叩き込んだ。
「そんな原始的な攻撃は、通用しません」
イーピゲネイアは、ヒラリと身をかわす。
「ゲホッ、ゲホッ!」
「だ、大丈夫ですか、ヴァルナ」
本物のセノンが、液体から解放されたヴァルナの身体を抱き止めた。
「ナノ・マシンが操られた。これは迂闊に、手出しができないぞ」
「言ったでしょう。人間は、アーキテクターには敵わないのですよ」
「そうやって貴女は……我らの艦隊を手中に……」
瀕死の状態から回復しつつあった、黒き英雄が金髪の美少女を仰ぎ見る。
「ええ。ですがわたくしの支配下にあるのは、艦隊だけではありません」
イーピゲネイアは、交戦的な女神のように微笑んだ。
「この小惑星自体が、既にわたくしの支配下にあるのです」
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