賃貸契約
「こ、これは……床に黒いシミが」
アロアがめくりあげたカーペットで隠されるように、床にはびっしりと焼け焦げた跡の様なシミがこびり付いていた。
「ありゃあ、バレちゃったっスか」
三つ編みお下げの少女は、小さく舌を出した。
「どう言うコトだ、テミル」
「まさか本気で隠し通せるとでも、思っていらしたんじゃ無いでしょうね?」
ボクたちの前で、腕を組んで睨みを利かすアロア。
「流石にそれは無いっスよ。いずれバレるコトっスからね。せめて契約まではと……」
「契約前に、通知義務があるんじゃなくて?」
妹のメロエも、正論を盾に攻勢をかける。
「も、もちろん契約前には、ちゃんと伝えるつもりだったっスよ」
アワアワと、慌てふためくテミル。
「どうかしら」
「怪しいモノですわ」
ボクも心の奥で、二人の意見に賛同した。
「要するにこの家は、火事があった事故物件なんスよォ」
観念したかのように、テミルが白状する。
「街の中心に近い立地の一戸建てが、家賃5万なんてオカシイと思ったよ」
ボクもしゃがみ込んで、カーペットの裏を確認した。
「しかも家具付きだなんて、好条件が過ぎると思ったが、こう言うコトか」
床には補修の後も見られ、新しい床材も混じっている。
「ま、まあアレっスよ。火事と言ってもボヤっス」
ボクは火事の規模よりも、発生理由が気になったが、聞くコトはできなかった。
「それに中国なんかじゃ、あえて事故物件に好んで住みたがるらしいっス」
「苦しい言い訳ですわね」
「ホ、ホントっスよォ」
テミルはソファーに腰かけて、説明を始めた。
その自然な流れに、ボクやアロアたちも同じ行動をとってしまう。
「なんでも前の住人が、災いを持って行ってくれて、役が落ちたって理由で好まれるみたいっス」
「それ前に、ニュースか何かで聞いたコトあるな」
ボクは気軽に同意したが、前の二人は違った。
「つまり、わたくし達家族が不幸を持って行ったお陰で、先生は役が落ちたこの家を格安で借りられるワケですわね?」
丁寧に聞こえるアロアの台詞全てが、辛らつな嫌味で出来上がっている。
「そ、そうなんだが、まだ借りるとは……」
「借りて下さい、先生……」
足を組んで座る姉の隣の、少女が言った。
「メ、メロエさん……貴女どうして!?」
妹の言葉に一番驚いたのは、姉のアロアだった。
「この家は、お父様たちが芸能界での成功と栄光の対価として、手に入れたのですよ。それを……」
「だって、お姉様……」
姉と顔を合わすことが出来ないのか、メロエは俯いて話し始める。
「どんなに頑張ったところで、今のわたくし達にこの家を維持する資金力は無いんです」
「そ、それは……そうですが」
「でしたら……先生に借りていただいた方が……」
メロエは、泣き出してしまう。
「人前で、涙を見せてはならないのです。お母さまが、仰っていたではありませんか」
グラマラスな姉は、妹を必死に慰める。
ボクもテミルも、不器用な姉と泣き虫な妹の様子を、しばらくの間眺めていた。
「やはりこの家には、お二人の想い出がたくさん詰まっているんスねェ」
「ああ、そうだな……」
おもむろに上を見上げると、白い天井の一部も茶色く焼け焦げている。
「なあ、アロア、メロエ」
ボクは、小さなテーブルを挟んだ向こう側のソファーに座った、豊満な身体の双子姉妹に語りかけた。
「何ですか、先生」
アロアは大きな胸に妹を抱き、脚を組んでボクを睨んでいる。
「ボクに、この家を使わせてくれないか?」
「この家は既に、わたくし達のモノでは、ありませんわ。契約でしたら、そこの……」
「契約とか、そんな問題じゃない。キミたちの、許可が必要なんだ」
再び、リビングに沈黙が訪れる。
姉は、気高き桜色の瞳で妹を見た。
「本当に……良いんですわね?」
アロアは、自分と同じクルクルと巻いた水色の髪を、指に絡めながら呟く。
「ええ、お姉さま」
妹は、潤んだ桜色の瞳を閉じると、姉の胸の中で泣きじゃくった。
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