エレベーター・チェイサー
「ヤレヤレ。イーピゲネイアさんは、狩りの女神だったのか」
真央が扉を破壊したエレベーターの前で、立ちすくむボクとセノン。
「今頃、気付いたのですか?」
鋭利なナイフで切られたかのような、右頬からの出血が止まらない。
「『アルテミス・イーピゲネイア』。イーピゲネイアは、古代ギリシャの神とされたアルテミスと、同一の神の名なのです」
金髪の少女は美しい顔を携えて、歩みを進め近寄って来た。
「アルテミスって、ゼウスの娘でオリンポス十二神のか?」
「ギリシャ神話じゃ、月の女神として有名な処女神だケド……」
軌道エレベーターの中から、顔を出す真央とヴァルナ。
「女神の水浴をたまたま覗いた狩人を、鹿の姿に変えた挙句、狩人が連れていた猟犬に殺させるとかさ。狡猾な狩りの女神としての一面も、持ち合わせているね」
ハウメアはボクたちの前に立って、自らのチューナーで威嚇する。
「そう言えば、子供の多さを自慢し母を侮辱したニオベに対し、兄弟のアポロンと共に彼女の子供を皆殺しにしたって話も、聞いたコトあるな」
ボクも千年前に図書館で読んだ、ギリシャ神話の本を思い出した。
「わたし達は、女神さまに狩られる獲物ってコトですかぁ!?」
「そうなるな、セノン」
「艦長、そのまま後ろに倒れて、エレベーターに逃げ込むんだ」
「重力が発生したら、わたしのアクア・エクスキュートが、ロープになって支える……」
「それしか、無いみたいだな」
「い、行きますよ、おじいちゃん」
ボクはセノンに支えられながら、籠の無いエレベーターの中に逃げ込む。
同時に、ボクたちのいた場所が炎に包まれた。
「わたしのペレアイホヌアで、入り口は塞いだケド、アレくらいで何とかなる相手じゃないよね?」
丈の短いモスグリーンのムームーを身にまとった、ハウメア・カナロアアクアが、ボクの隣をふわりと舞っている。
「地球のエレベーターなら、このまま落下するところだが……」
「そうはなりませんね、おじいちゃん」
マスカット色のジャケットに、ピンクのフレアスカートを穿いた少女が言った。
「ここは、小惑星パトロクロスの中心だからな。重力を発生させなければ、無重力の場所なんだ」
サックスブルーのGジャンを着た真央の、白とグレーのテニススカートも宙に揺らめく。
「小惑星パトロクロスは、内部を繰り抜かれたジャガイモみたいなモノ。外側に行くホド、重力が強くなる……」
クールな白いジャケットに、ブラウンのタイトスカート姿のヴァルナが呟いた。
4人の少女たちは、パトロクロスの地表の内側に築かれた街で買った、私服のままだった。
彼女たちの服は無重力に近い空間で、重力に束縛せれずに宙を舞う。
「今はまだ、自力で壁を蹴って進むしか無いってコトか」
「それよりおじいちゃん。前ばっか見過ぎです」
ボクの目は、前を進む真央、ヴァルナ、ハウメアの後ろ姿に釘付けになっていた。
「うわあ、なに見てんだよ、艦長!」
「後ろを警戒して……」
「もう、エッチなんだからぁ!」
「わ、解ったよ」
慌てて後方確認をすると、エレベーターシャフトの中をイーピゲネイアが追って来ていた。
「マ、マズイそ。もう、近くまで追ってきている」
「そ、そんなァ!?」
「わたしの、アクア・エクスキュートで引っ張る……」
「よし、みんなヴァルナに掴まれ」
「ふにゃあ、へ、ヘンなトコ、触らないで……」
ヴァルナのチューナーであるアクア・エクスキュートが、ロープ上になって10メートルくらい先のエレベーターの壁面に張り付く。
10メートル進む前に、別の触手が壁面を捉え……を繰り返し、なんとか50メートルくらいは進んだ。
「多少は重力を、感じるようになって来たな」
「おじいちゃん、ヘンな音しませんかぁ?」
「ヘンな音……確かに、鈍い低音が聞こえるぞ」
セノンが気付いた音は、段々と音量をアップさせ迫って来た。
「こ、これってまさか」
「エレベーターのゴンドラが、登って来る音だ!」
真央とハウメアが叫んだ。
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