アナトリア史
「言い換えるとトロイア戦争ってのは、西欧文化圏と中近東文化圏との戦争でもあったんだな」
「人類最古の文明は、アナトリアから中近東にかけての地域で生まれたのです。無論、古代ユダヤ人は白人ではなく、ユダヤ人であったキリストも、白人では無かったでしょうな」
トロイア・クラッシック社が誇る、黒き英雄は言った。
「キリスト教もユダヤ教も、原初を辿ればアナトリアから中近東に行きつくのか」
「そうですよ、おじいちゃん。コミュニケーションリングに情報がありました」
「ギョベクリ・テペの遺跡じゃ、ヨーロッパに生息する麦の原種の栽培が見られるぜ」
「テべ・シアルクの遺跡で、メソポタミアとの交易が確認されている……」
「テペ・ヒッサールの遺跡は、後のササン朝イラン帝国に繋がるんだよ」
真央やヴァルナ、ハウメアの、三人のオペレーター娘たちは、考古学者並みの知識を披露する。
「きゅ、急に世界史の勉強でも、している気分になったよ」
実際に彼女たちとは、艦の中の街じゃ学友なのだ。
「最もアナトリアには、勇壮な遊牧民族スキタイ人も住んでいましてな。彼らは戦争と血と殺戮を好み、周辺の多くの部族を狩り猛威を振るったのです」
「まるで軍神アレスとか、アマゾネスみたいですね……」
ボクはモニターに視線を戻す。
「彼らスキタイ人が信奉していた神が、アレスであり、彼らが取り込んだ母系部族の一つが、アマゾネスのモデルとされておりますからな」
「トラキアにも、この荒々しい神やアマゾネスは、神話として伝わったのでしょうね」
モニターの向こうでは、金色のサブスタンサー同士が激しい戦闘を繰り広げていた。
24機の白いサブスタンサーも、それぞれにペアリングを見つけ相争っている。
「ペンテシレイアさん、こんなにも激しい戦いをするのか。街のハンバーガーショップで合った彼女は、普通の女子大生な感じだったのに」
「ふえ、女子大生?」
「ああ、なんでも無いよ」
セノンにも、真央たちにも、艦の街での記憶は無かった。
「しっかし敵の4個艦隊も、完全に攻撃をMVSクロノ・カイロスに絞っているな」
「そだね。お陰でこっちは、揺れなくなった……」
「だけど、敵の目的がクロノ・カイロスだけって、どう言うコトだろ?」
「いずれにせよ、我らがトロイア・クラッシック社の主星が救われたコトは、喜ばしい」
「本当に……そうでしょうか?」
ボクは、違和感を抑えきれなくなっていた。
「攻撃を受けている艦の艦長を前に言うのもアレですが、敵の攻撃目標は我らでは無いのですよ」
「確かにそうです……」
「宇宙斗艦長は一体、何を仰りたいのでしょうか?」
イーピゲネイアの金色の髪が、ボクの目の前を流れる。
「ボクが言いたいのは、トロイの木馬の可能性もあるってコトです」
そう言った瞬間、デイフォボス代表の顔つきが変わる。
「ヤツらギリシャ群は、既にこのパトロクロスに、トロイの木馬を送り込んでいる……と?」
トロイの木馬とは、トロイア戦争においてトロイアを滅亡へと追いやった代物だ。
講和の証としてギリシャ軍から送られた木馬は、中にギリシャ兵が潜んでいた。
トロイア軍は木馬を受け入れたが、夜中にギリシャ兵が現れ街を破壊し、トロイアは火の海と化す。
こうしてトロイアは、一夜にして歴史の波間に姿を消した。
「トロイの木馬の古事など、トロイアの名を冠する企業の代表であるからには、心得ておりますよ。ですが、かの企業国家とは今、こうして戦争のただ中にあるのです」
「では、どうしてグリーク・インフレイム社の艦隊は、この小惑星を攻撃して来ないのでしょうか?」
「敵の事情など、知る術もありませんな。艦長は、どうお考えですかな?」
デイフォボス代表は、丁寧な言葉に嫌味を混ぜる。
「ボクは、既にこのパトロクロスは堕ちているのでは……と、考えてます」
ハッキリとした根拠があるワケでは無いが、ボクはそう感じていた。
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