神風
ボクはそのままドルブルを続け、ゴールを目指す。
もしかしたら黒浪さんは、チャイムでスタートの合図が聞こえなかった可能性はある。
でも、一瞬だけスタートが遅れただけで、後ろから追って来てる可能性もあったからだ。
「ま、ハンデとしちゃあ、いい距離だ」
日焼けしたアスリートが、クラウチングスタートの体制のまま言った。
もちろんボクには、聞こえるハズも無い。
「黒狼が獲物を狩る恐ろしさを、見せてやるぜ!」
黒浪 景季は、ボクが20メートルくらい進んだところでスタートを切る。
「ガアアアアァァーーーーーーーーーーーーオッ!!」
後ろから、獣の雄叫びが聞こえた気がした。
……なんかヤバい。
とんでも無い圧力が、迫ってくる。
だけど後ろを振り返って、確認する余裕なんてなかった。
「どうだ。追いついてやったぜ!」
60メートルくらい進んだ頃だろうか。
黒浪さんが、ついにボクの隣に並んだ。
「流石に驚いただだろ。クールな顔が、引きつってんぞ」
人見知りなだけなんだケド、そんなコトはまあいっか。
黒浪さん、ドリブルもちゃんと上手いし、高速なのに乱れてない。
茶褐色のハデなジャージの背中が、どんどん遠くなっていく。
このままじゃ、負けちゃう!
でも……どうなのかな?
黒浪さんが入らなきゃ、ボクがレギュラーって可能性も……。
『ああ。歓迎するよ、一馬。お前がオレのチームの、最初のメンバーだ!』
倉崎さんと最初に勝負をしたとき、言われた言葉。
どうしてこんな時に、思い出しちゃうのかな?
「へへ、もう終わりかよ。歯ごたえが無いぜ」
やっぱ、負けたくない。
他のコトでならともくかく、サッカーで負けるのって悔しい。
でも、もうどうにも……その時だった。
「うおッ!?」
強烈な一陣の風が、グランドに吹き荒れる。
「きゃああッ」「いやぁん」
「チョットなによ。この風ェ」
風が、練習を終えたテニス部のスカートを、舞い上がらせる。
「ラッキー、パンツ丸る見え……って、ミスったぁ!?」
黒浪さんのドリブルが乱れ、明らかにスピードが落ちた。
今がチャンスだ!
ボクは、最後の力を振り絞って、黒浪さんに迫る。
「マ、マジィ、追いつかれちまう!」
横道にそれた黒浪さんも慌てて復帰したが、隣に並ぶコトは出来た。
「も、もう一回、引き離してやるぜ!」
けれども更にギアを上げ、加速する黒浪さん。
走ってみて解る、理不尽なまでのスピードだ。
「やん、風でタオルがぁ」
「スゲエ、水着が!」
部室に入ろうとしていた水泳部のバスタオルが、空に飛ばされる。
「うわッ、ジャージが飛んでっちゃう」
「うおあ、またかよォ!」
新体操部が羽織ったジャージが、天高く舞い上がった。
風が吹くたびにドリブルが乱れる、黒浪さん。
これって、神風ってヤツ?
春先の名古屋は、たまにやたらと強い風が吹く日が、あるんだよな。
「ヤッべ、また抜かれちまった!?」
必死に追ってくる、黒浪さん。
こんなチャンス、二度と無い。
……と言うか、次やったら普通に負ける!
「待て、待ちやがれェ!」
「待てるワケがない。ゴールはもう直ぐ……」
ここでやっと、ボクは重大な問題点に気付いた。
アレ、ゴールってどこだ?
部室棟の前までって言ってたケド、アバウト過ぎないか。
けれども、スピードを緩めるワケには行かなかった。
「ガアアアアァァァァーーーーーーーーーーオ!!」
背後から、黒きオオカミが迫って来る。
息は荒ぶり、視界すら狭まるくらいに必死に走った。
それは黒浪さんも同じだったようで、部室棟が目の前にあってもスピードが落ちない。
マ、マズイ……このままじゃ、壁に……。
ボクたちは、同時に跳んだ。
『パリイイィィィィーーーーーーーンッ』
「きゃああああーーーーッ!?」
「うわ、うわ、なんなのォ!?」
「ぎゃああ、だ、男子がぁ!?」
窓ガラスの割れた部室棟は、テニス部や新体操部、水泳部の悲鳴に包まれた。
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