最も美しい女神に……
「時の魔女の正体……残念ですが、解かりません」
ボクはそう答えたものの、時澤 黒乃の顔が脳裏に浮かんだ。
「この時代に、名の知れた人物では無いのでしょうか?」
「はい。聞いたコトもありません」
「ですが、トロイア・クラッシック社にしろ、グリーク・インフレイム社にしろ、会社の役員は全員、ギリシャ神話の英雄の名を持っていますよね?」
ボクは、デイフォブス代表に問いかける。
「まあそうですな。つまり、ギリシャ神話における『魔女』と呼ばれる者を当たれと?」
「ギリシャ神話の魔女ですか……」
しばらく考え込む、イーピゲネイア。
「冥府の女神ヘカテーは、中世ヨーロッパにおいて魔女の崇拝を受けました」
「アルゴー号のイアソンの航海を助けた、魔女メディアも有名だよね」
「オデッセウスの航海を妨害した、キルケーも魔女とされてるわ」
イーピゲネイア、セノン、トゥランの、女性と女性型アーキテクターが言った。
彼女たちが挙げた三人の名前を冠する小惑星は、どれもメインベルトに存在する。
「確かにその三名は、魔女や魔女を従える女神として有名ですが……」
「宇宙斗艦長は、他に思い当たる者がいると?」
「ギリシャ神話の中でも、トロイア戦争にしぼってみてはどうでしょうか」
「トロイア戦争に関わった女性は、大勢いるが……」
デイフォブス代表は、ペンテシレイアたちに視線を移す。
「残念ですがアマゾネスは、魔女では無く戦士です。代表」
アマゾネスの女王の名を持つ女性が、気高く言い放った。
「わたしの名もトロイア戦争の折、父アガメムノンによって神の生贄とされた、皇女の名前ですが」
「戦争の原因となったヘレネーや、パリスの妹で預言者のカッサンドラなんかもそうね」
「あ。なんか正解が、わかった気がします」
セノンが、小さく手を挙げた。
「いや、ボクも正解かどうか解からないよ」
「そうですな。ですが調べてみる価値は、あるでしょう」
「資料作りはお任せ下さい。今挙がった名前に関する情報を、ピックアップしてみます」
ペンテシレイアたちは、一礼すると部屋を出て行った。
それから暫く談笑したのち、イーピゲネイアとデイフォブス代表もリビングを後にする。
「オレたちはこの小惑星をぶらついて、情報を仕入れてくるぜ」
「艦長は先に、艦に戻っていてください」
プリズナーも、トゥランと共に出て行った。
「みんな、言っちゃいましたね」
リビングに残された、セノンが呟く。
「そうだね。ボクたちも、帰ろっか」
「おじいちゃん……」
「ん、どうした?」
「さっき、言いかけてた魔女の名前……」
「ああ、けど言ったろ。ボクにも、正解なんて解からないんだ」
「でも、おじいちゃんが考えてる女神はいますいね?」
セノンは、魔女では無く女神と言った。
「ひょっとして、『エリス』じゃないですか?」
クワトロテールの幼い顔が、人工的に作られた夕日色の染まる。
「エリス……」
それは千年前に、ボクが時澤 黒乃に重ねた女神だった。
「トロイア戦争って、パリスが三人の女神の中で、誰が一番美しいかを決めたのが原因なんですよね?」
「そう……だね」
アテナ、ヘラ、アフロディーテの三人の女神は互いに美を競い、誰が最も美しいかを人間であるパリスに審判させる。
アテナは戦争での名誉を、ヘラは権力と富を提示し、パリスの心を引こうとする。
「結局のところ、アフロディーテが絶世の美女であるヘレネーをパリスに与え、『美の女神』の称号を手に入れたワケだケド……」
「でもでもヘレナーが原因で、トロイア戦争は始まっちゃうんですよね」
「ああ。そして三人の女神に、黄金のリンゴを送ったのが……」
リンゴには、『最も美しい女神に……』とだけ、添えられていた。
「エリス……」
そう言ったセノンの瞳は、千年前の時澤 黒乃のように紅く染まっていた。
前へ | 目次 | 次へ |