イーピゲネイア
「宇宙斗艦長。貴方に、会っていただきたい人物がいるのですよ」
デイフォブス=プリアモス代表が、テーブルを挟んだ先の椅子に座りながら言った。
「それはもしかして、事故で亡くなられた会長の……」
「ええ、会長の唯一の親族である、一人娘です」
「そ、それじゃあ……」
「二年前の事故は、トロヤ群の小惑星・プリアムスで行われた、パーティーの会場で起きました。会長の奥方や弟たち、更にはその家族までもが犠牲となったのです」
「事故とは……一体、どのようなモノだったのですか?」
「プリアムスは、星自体が軍事研究所となっておりました」
「AIによって、全ての研究が自動化されていた……と?」
「そうなりますな。アーキテクターや宇宙艦などの技術は、時折勃発するグリーク・インフレイム社との艦隊戦によって更新され、新たな艦船やアーキテクターが生み出されて行くワケです」
「人間に、それらを造る能力は?」
ボクは、それが無い事を解っていながら質問する。
「ございません……」
それに答えたのは、デイフォボス代表でも、ペンテシレイアでも無かった。
「AIが開発する技術は、すでに人知を超越したレベルにあるのです」
ラウンジに入って来た、一人の少女。
「わたしは、イーピゲネイア」
背丈はセノンと同じくらいだが、美しいプラチナブロンドの長い髪をしており、ターコイズブルーの瞳がボクを映していた。
「この女の子が、会長の?」
「ええ。会長は老齢でして、実際には孫くらいの年齢差はあったのですが……」
人工子宮が存在する時代、子供を創るのに年齢は足枷にならないらしい。
「わたしの父は、アガメムノンと申します。事故で死んで、当然の男でした」
少女は表情を曇らせながら、デイフォブスの隣の椅子に座った。
「アガメムノン……確か、ギリシャ側の英雄ではありませんでしたか?」
ボクは、父親の名前に違和感を感じていた。
「同名の小惑星も、L4のギリシャ群に属するハズでは」
「コミュニケーションリングをしておられないのに、お詳しいのですね」
見るとイービゲネイアの細い首には、金色のネックレスと同化したリングがあった。
「ボクの名前『宇宙斗』は、当時の日本で宇宙を現す言葉だったんですよ」
「そうでしたか。漢字……古来より東アジアで使われた、象形文字のコトですね」
漢字の全てが象形文字では無いけど、まあいいか。
「イービゲネイア様。漢字は、古代中国に起源を持ちますが、日本を始め多くの国でも使われました。割合で言えば、形成文字が最も多く使われております」
黒き英雄が、執事のごとく恭しく言った。
「まあ、そうでしたか!」
イービゲネイアは、口を押えながら驚く。
「何分、わたし共ヨーロッパに起源を持つ者の言葉とは、あまりにかけ離れておりましたモノで」
全ての言葉が、アルファベットの26文字と10の数字で現せてしまう言語とは、違うのだろう。
「我々人間は、コミュニケーションリングにいくら知識を蓄えることが可能であっても、それを有効活用するのはアーキテクターに遠く及ばないのですよ」
「ボクの時代では、ロボットやAIに物事を認識させるのに、とても苦労してたんです」
「え、そうなの。艦長?」
優秀なアーキテクターである、トゥランが言った。
「ボク自身が体験したワケじゃなく、ニュースで知った知識でしかないケドね」
そう前置きをして、詳しい説明に入る。
「当時のAIに、猫を猫と解からせるだけでも、それは大変なコトだったんだ。犬との違いは、なんなのか……とかね」
「犬と猫との違いも解からないなんて」
「わたしたちのご先祖サマ、頭悪すぎ」
トゥランのクワトロ・テールから分離したラサたちが、率直な感想を述べた。
「それが今では、立場が完全に逆転してしまったというワケですな」
デイフォブス=プリアモス代表が自嘲する。
「わたしの父は、それが我慢ならなかったようですが……」
「す、すみません。話がそれてしまった様で……」
本来はイービゲネイアの父、アガメムノンの話題だった。
「父、アガメムノンは……ギリシャ群からの、亡命者なのです」
少女の表情が、一層険しくなった。
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