事情聴取
パトカーの後部座席で見つめる外の景色が、急に滲み始める。
「……どうやら、涙というワケじゃないらしい」
目元に手を当てたが、湿ってはいなかった。
「先生と言っても、今時はサラリーマンみたいなモノでしょう」
若い警官が、ボクが濡れないように傘を差す。
彼なりに、気を遣っての発言なのだろう。
けれどもそれは、『先生』という職業の、権威の喪失を物語っていた。
地方の古びた警察署は小さなライトに照らされ、シトシトと降り注ぐ雨を浴びている。
自動ドアがガタガタと開き、ボクは若い警察官と共に中へと入った。
「この書類に、事件の詳細を記入させてもらうんでね。それが終われば、帰っていただいて結構ですよ」
顔に深いシワが刻まれた警察官が、手慣れた手つきでボールペンを走らせる。
「先生は、どちらの学校で先生をなさってられるんですか。それとも塾?」
「えっと……こちらで話す情報というのは……」
ボクは、老齢の警察官の顔色をうかがった。
「え……ええ、もちろん守秘義務がありますからね。他言はしませんよ」
警察官は、そんな心配など必要ない事案だろうに……という顔をする。
「ボクはある少女に、家庭教師として雇われました。最初は個人の家庭教師の予定だったのですが、十四人の生徒を観るように話が進んで……」
事情聴取と筆記は、直ぐに終わった。
「へぇ、先生は、ユークリッドに雇われていたのですか。それはお気の毒に。今時、ユークリッドみたいな一流企業で働ける機会なんて、滅多にありませんからなあ」
「は、はい。それで、美乃栖 多梨愛の拘留は、長くなりそうですか?」
「いや、直ぐに保釈してもいいレベルですよ。まあ、反省のために今夜は、ここで過ごしてもらうコトになるんでしょうが」
「……え?」
「いえね」
警察官は、ジャケットのポケットから何やら取り出そうとする。
そこに目的のモノは無かったのか、替わりにボールペンを指に挟んだ。
「彼女が痛めつけた男共は、この辺りじゃ相当なワルとして名が通った連中なんですわ。バイクを乗り回し、グループ同士の抗争なんぞに明け暮れてましてなあ」
どうやら彼は、勤務時間外はタバコを吸うらしい。
「最近、この辺りで起きている原因不明の失火や、婦女暴行事件なんかも、ヤツらの仕業じゃないかと睨んどるんですわ」
「そんな札付きの男たちを、タリアは一人で……?」
「流石にたまげましたわ。まさかヤツらの方が、女の子一人にのされて、病院に運ばれちまうんですからなあ。アッハッハ」
老境に差し掛かった警察官は、無精髭の生えた顎を撫でながら笑った。
「調書も、おおむね書けましたので、先生はお帰りいただいて結構ですよ」
「できればわたしも、ここで泊まりたいのですが……」
「え……どうして?」
「やはり、タリアが心配なモノで。無理でしょうか?」
「無理じゃあ無いですが、いや……最近珍しい、生徒想いな先生ですなあ」
年老いた警察官は、再びポケットを探り、再び空振りに終わる。
「昔は先生みたいな方が、普通にいたんですがねえ。教民法が施行されて以来、先生と言っても自分で授業をするワケでもない、名ばかりの先生が増えてしまって」
ボクは、反論すら思いつかない。
「病院に運ばれたヤツらの学校教師なんか、事件が起きても自分の役目じゃないって、帰ってしまったんですわ。おっと、守秘義務、守秘義務……」
「トメさん。こっちも事情聴取、終わりました」
先ほどの若い警官が、古びたドアから出てきた。
「おう、そうかい。ご苦労さん」
警官は、膝に手をついて立ち上がると、ボクに問いかける。
「どうです、先生。生徒さんに、会っていかれますか?」
「はい、会わせて下さい」
ボクは、深々と頭を下げた。
前へ | 目次 | 次へ |