苦笑い
「やはり、ご存じだったのですね」
メルクリウスさんは、顔色1つ変えずに言った。
「複雑な気分ではあるよ。わたしはともかく、亡き妻の若き日の姿を見ると……例えクローンと解っていても、喜びの感情は湧き上がって来るものでね」
バルザック・アインは、コーヒーカップをゆっくりとソーサーに戻す。
冥界降りの英雄の気持ちは、ボクにも理解できた。
ミネルヴァさんが若さを取り戻して、黒乃にそっくりな姿となったときのボクは、彼と同じ感情を抱いていたのだろう。
「コリーとわたしは、太陽系外縁部の探査に出る前に、家族やプロジェクト関係者から、自分たちのクローンを残すように迫られた。無論、わたし達のクローンは本人が生存中は、冷凍睡眠状態にして置くコトを条件に出したのだが……」
「マーズは、お2人のクローンを目覚めさせてしまったのですね?」
ボクは、英雄に問いかけてみた。
「恐らくは、そうだろう。コリーは亡くなってしまったし、わたしも死んだと思われているのだからね」
宇宙戦艦プロセルピナのラウンジにある大きなスクリーンに、マーズがクローンであろう2人を、プルートとプロセルピナに任命する就任式の様子が映し出される。
「失礼ですが映像のクローンは、今のアナタとはずいぶん雰囲気が違うように見えますが」
クローンのバルザック・アインは、青みがかった長髪に、鉛色の肌をした男だった。
「あくまでも、過去のわたしのクローンだからね。かつてのわたしは、任務を絶対に成功させようと躍起(やっき)になっていた。彼女も似た性格だったから、気が合ったのかも知れない」
映像の中の、エメラルドグリーンの長い髪をした美しい女性が、コリー・アンダーソンだろう。
「ボクやミネルヴァ、アポロら、マーズの下に付く気のなかったメンバーがごっそりと抜けた、ディー・コンセンテスです。12の神々の数合わせと、冥界降りの英雄の知名度を利用する気なのでしょう」
「マーズも、意外と抜け目ありませんね」
「彼は、そんなに器用な人間ではありませんよ。恐らく2人の息子か、他の誰かの入れ知恵でしょう」
ボクより遥かにマーズとの付き合いが長い、メルクリウスさんが首を横に振った。
「現在、マーズは火星を正式に人類の中心地と宣言し、バックスを責任者に任じて、かつての貨幣経済を復活させようとしている」
「やはりあの男も、マーズの下に降りましたか。もっとも彼は、理があれば誰の下に付くコトもいとわないでしょうが」
吐き捨てる、メルクリウスさん。
ボクが会ったバックスは、金髪ドレッドヘアにピンクのスーツを着た、ド派手な男だった。
「ところでアナタは、時の魔女をご存じなのですよね。ご自分の船が襲撃されたとは言え、どうしてそれを知ったのです?」
「わたしは、サターンとは知己でね。彼に尋(たず)ねたのさ」
「サターンも、ボクやミネルヴァと共に、時の魔女との戦争を戦いましたからね」
サターン(土星圏の代表)は、浅黒い肌に漆黒のスーツを着た、長い黒髪の男だ。
背が高く、物腰も丁寧な印象だった。
「それではサターンは、アナタが生きているコトを知っていると?」
「ああ、彼には全てを打ち明けたからね。この艦も、彼のツテを頼って手に入れたモノだよ。今はマーズの下に降ってはいるが、なにか思うところがあるのだろう」
「最後の質問です。アナタは、時の魔女の本拠地が、近くにあると仰いました」
「ああ。言って置いてすまないが、時の魔女の本拠地とは現在、10AU(1AU=太陽と地球の距離)ほど離れている」
「えっと……一般的には、近いとは言わない距離に思いますが?」
メルクリウスさんが、ボクの感情も代弁してくれる。
「太陽系外縁天体の探査などをやっていると、それでも近いと感じてしまうのだよ。度し難いコトにね」
苦笑いを浮かべる、冥界降りの英雄。
「宇宙規模で考えれば、確かに近いと言えますね」
ボクも、彼の苦笑いに付き合った。
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