バルザック・アイン
「わたしの艦に、来ないか」
漆黒のサブスタンサーに乗った男が、恐らくそう言った。
「バルザック・アイン大佐。貴方の艦は、時の魔女の手下との戦闘で、沈んでしまわれたのでは?」
メルクリウスさんが、疑問を投げかける。
「ああ、我々の探査船はね。だが、ある程度の財を得ていたわたしは、新たな宇宙船を建造したのだよ。今度のは、戦闘力を備えた戦艦だがね」
「了解です。ここは、お言葉に甘えさせていただきましょう。サブスタンサーも、永遠に空気が持つワケではありませんので」
「結構だ。付いて来たまえ」
黒いサブスタンサーは、太陽系外縁部のなにも無い空間へと飛び立って行った。
ケツァルコアトル・ゼーレシオンとテオ・フラストーも、その軌道をなぞる。
「アレが我が艦、プロセルピナだ」
ボクたちの前に現れたのは、黒い巨大な艦だった。
黒い流線形の優雅なボディには星宇宙(ぞら)が映り、所々に赤い照明が灯っている。
艦体の中央には主砲が3つ並んでいて、艦体側面にも副砲が何門か備わっていた。
「亡くなった、奥方の異名ですか」
「ああ、そうだ。中央に、着艦用のハッチがある」
漆黒のサブスタンサーは、ボクたちを先導するように、艦の中央ハッチの内部に着艦した。
「お前は少し、この辺りを警戒いていてくれ」
ボクは、ケツァルを背中から切り離すと、着艦用ハッチに入る。
メルクリウスさんのテオ・フラストーも、同時に着艦した。
「魔女の手下の襲撃によって、多くの乗組員(クルー)は失われてしまったが、僅かに生きのこった者も居てね。新たにクルーを加え、この艦を運用している」
バルザック・アインが、ゼーレシオンから降りたボクの前に、姿を現す。
太陽系の神秘を解き明かした英雄は、黒髪の角刈り頭に、整えられた髭(ひげ)がその威厳を顕(あらわ)していた。
「宇宙斗艦長と、言ったか。思っていたより、若いな」
「そうでも、ありませんよ。少なくとも、貴方より年上です」
ボクの答えに、訝(いぶか)しげな顔を浮かべる、バルザック・アイン。
「宇宙斗艦長は、冷凍睡眠者(コールド・スリーパー)なんですよ。1000年もの前の時代から、我々の時代にやって来たのです」
「1000年も前だと。そんなに前に、冷凍睡眠の技術が確立していたのか?」
「残念ながら、確立はしていませんでした。ボクをこの時代に導いてくれた少女も、この時代に来るコトは叶わなかったのです」
「そうだったのか……すまない」
ヒゲを撫でながら、目を閉じ謝るバルザック・アイン。
ボクたちは、それからプロセルピナのラウンジへと通された。
女性クルーが、運んで来たコーヒーをボクたちの前のテーブルに置くと、バルザックが現れる。
「冥界降りの英雄、お会いできて光栄です。まずはボクたちの方から、話させて貰って構いませんか?」
メルクリウスさんが、握手の手を差し出しながら言った。
「構わんよ。話してくれたまえ」
バルザック・アインの背後で、女性クルーが挨拶をして部屋を出て行く。
「バルザック大佐は、現在の太陽系の情勢はご存じでしょうか?」
「わたしはもう、大佐では無いのだがね。ああ、おおよそは知っているつもりだ。ここ辺境の宇宙にも、電波はやって来るからね。時間はかかるが……」
人類は、太陽から地球までの距離を、1AU(1天文単位)と定めた。
1AUの距離を進むのに、光ですら8分以上かかってしまう。
電波は光速ではあるが、太陽系外縁部に達するのに、3時間以上の時を要するのだ。
「ディー・コンセンテスの1員だったマーズが、ミネルヴァやアポロたちを差し置いて、太陽系の主になったのも知っておいでで?」
「ああ。知っているよ」
コーヒーカップを手に取り、湯気を美髭(びせん)に当てる、バルザック元大佐。
「無論……わたしと妻が、マーズの配下に加わったコトもね」
コーヒーを口にしながら、英雄は確かにそう言った。
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