短いウォーミングアップ
「オレらは右半分を使うから、オメーらは左を好きに使っていいぜ」
曖経大名興高校を率いる岡田先パイは、倉崎さんに向かって言った。
「そうか、ありがたく使わせてもらうよ」
「そのボールは、使っていいぜ。じゃあな」
紫色のユニホームの集団は、コートの右側に向かって去って行く。
「よ、よく言えるよな。このボールで、倉崎さんを転ばせようとしてたクセに」
「危うく、大ケガに至るところでしたからね」
「イヤイヤ、倉崎さんじゃ無かったら、確実に大ケガだろ」
黒浪さん、柴芭さん、紅華さんが言った。
「すみません、自分が手を離したばかりに……」
「気にするな、雪峰。オレはこの通り、無事なんだ。それより、ウォーミングアップを始めてくれ」
「解かりました、倉崎さん」
「だケド、ボール1個でウォーミングアップかよ」
「仕方ないじゃ、ありませんか。ボールは彼女に化けてしまったのですから」
紅華さんと柴芭さんが、生暖かい目で沙鳴ちゃんを見てる。
「それにこのグランド、凄まじい荒れようだぜ。なんだか、ジャガイモ畑みたい」
「まるで、軍事演習場のようでありますな」
た、確かに荒れてるな。
地面はデコボコだし、雑草がメチャクチャ育ってる。
「こんなグランドじゃ、オレのテクニックも半減されちまうぜ」
「オレさまのスピードも、ジャガイモ畑じゃ意味ないぞ!?」
「紅華、黒浪、ブラジルじゃこれくらいのグランド、当たり前ね」
「でもここ、日本スよ」
「そうだぜ、監督!」
「イヤ、セルディオス監督の言う通りだぞ。デッドエンド・ボーイズの戦いはまず、地域の2部リーグから始まる。狩里矢みたいな豪勢なピッチを持っているチームの方が、稀なんだ」
倉崎さんが、言った。
「そうですね、今後荒れたピッチで戦うときの、シミュレーションになります」
「ま、相手も条件は同じだしな。オレのテクニックで、なんとかしてみるか」
「オレさまのスピードは、何ともならない気がする……」
「クロくん、頑張って。カッコいいとこ、撮りたいから」
「うお、ち、千鳥さん!?」
大きなカメラを持って現れた千鳥さんに、真っ赤になって慌てる黒浪さん。
「ま、任せて下さい、千鳥さん。オレ、一生懸命走りますから!」
黒浪さんは、コートの周りを囲んでいた荒れた陸上トラックを、凄まじい勢いで走り始めた。
「あのバカ犬、ウォーミングアップだってのに、全力で走ってるぜ」
「恋の力の、なせる業なのでしょう」
「向こうのチームも、アップ始めたみたいだな」
海馬コーチが言った。
「よし、雪峰キャプテン。オレらも始めようや」
「そうだな、紅華。ボールは1つだから、ストレッチと軽いランニングのあと、3対10のボール回しをする。海馬さんは、ボールのない練習になってしまいますが、構わないでしょうか?」
「構わないね、雪峰。コイツに今さらボールを与えたところで、結果は大して変わらないよ」
「そ、そんな。一々、酷くないっスか!?」
それからみんなは、ピッチに駆けて行った。
ボクはと言うと、倉崎さんの車椅子を押すコトとなる。
「スマンな、一馬。お前も試合に出たいだろうに」
「い、いえ……」
元はと言えば、ボクが練習に遅刻したのが悪いんだか。
「だが、ピッチ外から試合を見るのも、悪くはないモノだ。学べるものも、多いと思うぞ」
倉崎さんに言われて、ピッチを見渡してみる。
コートの左側でデッドエンド・ボーイズがストレッチをしていて、右側では紫色のユニホームがボールを使った様々な練習をしていた。
アレ、岡田先パイ、もう練習を終えて、ベンチに引き上げてく。
他の人たちは、まだ練習を続けてるのに。
「フッ、気付いたか、一馬」
ボクは、コクリと頷いた。
「軽くボールに触って、ピッチを後にする。だがヤツのアップは、いつもあんなモノなんだ」
ええ、そんなアップで、大丈夫なの!?
「岡田 亥蔵……その研ぎ澄まされた嗅覚は、多くの練習時間は必要としないのさ」
倉崎さんは、サングラスをかけながら言った。
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