院内のコンビニ
「まったく、せっかく顎の傷も癒えて来たってのによ」
男は、ほぼ白髪と言っても過言では無い髪をしていて、ヘビのようにねっとりとした眼光をこちらに向けている。
「すみません。ボーっと歩いていたようで、申し訳ないです」
ボクは男に頭を下げる。
「……ったく、気ィ付けろや」
男はそう言うと、長いガウンのまま何処かへ歩いて行ってしまった。
「フウ、なんか怖そうな感じだったな。だが、悪いのはボクだ。気を付けねば……」
ボクはそのまま立ち去ろうとしたが、病室のネームプレートが目に入る。
「『襟田(えりた)』……」
その苗字に、聞き覚えがあった。
「ええ……彼が、襟田 凶輔(えりた きょうすけ)ですよ」
後ろからの声が、ボクをハッと振り向かせる。
そこには、背の高い頬のこけた男が立っていた。
「彼が、わたしのクライアントであるコトは、貴方もご存じでしょう?」
男は40代半ばと言った風体で、高そうな縦ストライプの茶色のスーツに抹茶色のネクタイで、権威を演出している。
「ええ、知っていますよ。瀧鬼川 邦康弁護士」
彼は、タリアの起こした傷害事件で、7人のテニススクールの少女たちのいかがわしい画像を撮影し、タリアに叩きのめさせられた少年たちの弁護を引き受けた弁護士だ。
「一度、直接お会いして話てみたいと思ってました」
「ほう、弁護士であるこのわたしと話す……これはこれは」
「貴方が弁舌のプロであるコトは、重々承知の上でです」
「ここでは話も何です。コンビニのフードコートにでも、移動しましょうや」
「え、ここは病院の中ですよ?」
「わたしも最初は驚きましたよ。ここは糖尿病の治療で定評のある病院なのに、院内に清涼飲料水の自販機どころか、コンビニまであるんですからなぁ」
弁護士に案内されエレベーターで降りると、コンビニチェーン店の見慣れた看板が本当にあった。
「ま、コーヒーでも」
ボクたちはコンビニで100円のコーヒーを買うと、コンビニを出て直ぐのところにある、丸々一室フードコートの部屋に入る。
「しかしこのコーヒーが、100円で買える時代なのですからなあ。個人経営の喫茶店など、商売あがったりでしょうな」
「はあ……」
「ユークリッドと言う強大な教育動画サイトの登場で、多くの教職員が職を追われたのと、似ているとは思いませんか?」
瀧鬼川弁護士はボクと視線を合わさずに、コーヒーをかき混ぜながら言った。
「思いますね。正直言えばボクも、ユークリッドアンチでしたから」
「え、そうなんですか?」
「はい。教員免許を取ろうと大学まで行ったのに、肝心の『学校の先生』と言う職業が、世の中から消えてしまってましたからね」
「昨今の教師は、ただのアポイントメンターだと言われてますからな。生徒たちに、ユークリッドの作り上げた完全なる教育動画のどれを見せるか……指示をする存在でしかない」
「そんなのは、教師と呼べない……かなり、葛藤はありました」
「わたしも弁護士という職業が、いつAIとやらに取って替わられるか、気が気でなりませんわ」
瀧鬼川 邦康弁護士は、思ったよりも気さくな人柄の世間を知っている大人に見える。
少なくとも、表面上は。
「今回のタリアの裁判、やはりまだ続けるおつもりでしょうか?」
ボクは、思い切って本題を切り出した。
「当たり前でしょう。彼女が暴力を持って、少年たちに傷を負わせたのは紛れもない事実であり、その道義的責任を負うのは当然のコトです」
「そ、それは、少年たちの行動にも、非が……」
急に弁護士然とした弁論を繰り広げられ、焦るボク。
「まあまあ、法廷であればそう答弁するでしょうが、ここはただのコンビニのフードコートですからな」
男はそう言うと、コーヒーを飲み干す。
「実際には、裁判は幕引きとなるでしょう」
瀧鬼川護士は静かに腕を組み、その向こうの瞳でボクを見た。
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