古代人と現代人
「ヤベェ、邪馬台国の論議に夢中になり過ぎて、鍋が沸騰しちまってる!?」
目の前で激しく煮えたぎるモツ鍋を前に、仰天する枝形先生。
「あわわ、ガタさん、タブレット退けて!」
「ああああ、モツが大量に零れちまってる!?」
赤い鼻のおっちゃんと、お兄さんが慌てふためいている。
「モツ鍋、火消しますね」
酔っていて、判断力が鈍っていたであろう3人に替わり、鍋の火を消すボク。
「ふう、なんとか治まったな。焦っちまったぜ」
「焦っちまったじゃないよ。ウチの看板のモツ鍋を、こんなにして。ホラ、フキン!」
「お、おう、悪かったな、女将」
女将さんからそれぞれフキンを受け取り、吹き零れたモツ鍋の汁を拭く4人の男。
「あ~あ。せっかくの鍋が、阿蘇山みて~に火砕流を起こしてらァ。邪馬台国は、北九州にあると思ったんだがなあ」
赤鼻のおっちゃんが、邪馬台国九州説に名残り惜しそうに付近を動かす。
「国生みの神話からして、四国だと思ったんですがねぇ」
零れたモツをつまみ上げて、しみじみと語る若いお兄さん。
「まあ、オレの説が正しけりゃあの話だケドな。当時の中国からの使者が、反時計回りに地図を読み間違えてたなんて、思いついたヤツもそこそこ居るんじゃねえのか。それでいて、この説が取られていないってこたぁ、やっぱ……」
「なに、弱気になってんだ。悔しいが、的を射てると思うべ」
「そうっスよ。まずは出版っス。それで、世の中に問いかけてみるっスよ」
「お前ら……嬉しいコト言ってくれるじゃねえか」
枝形先生の目が、少し潤んだ。
「よぉし、今日はオレの驕りだ。好きなモン喰え」
「ホンマかいな。じゃあオラァ、最高級芋焼酎の山門の香りを……」
「オレ、日本酒の銘酒・姫若子が……」
「酒は……スマン」
「そ、そない殺生な」
「まあ、ガタさんの財布の中身からして、そうだと思いましたよ」
「はいぁ、山門の香りと姫若子、入りましたぁ」
「うわあ、女将タンマタンマ!?」
「バイトのオレが、そんな金無いですってェ!」
ボクたち4人はその後も、居酒屋でささやかな居心地の良い時間を過ごした。
飲み仲間の2人と別れたボクと枝形先生は、真夜中の道を地下鉄の駅へと向かって歩き出す。
「すみませんね、先生。今晩は、オレの趣味に付き合わせちまって」
「いえ、楽しかったですよ。これでも歴史は、好きな科目でしたから」
「そうですかい。今時の若い先生らしいや」
同級生や生徒たちにまで、オッサンっぽいとか言われるボクも、枝形先生からすればそうなのだろう。
「枝形先生は、どうして邪馬台国に興味を持たれたんですか?」
「そうですな、やっぱロマンですわ」
「ロ、ロマンですか!?」
「歴史のロマンって、あるでしょう。オレはユークリッドの他の先生方と違って、田舎生まれの田舎育ちでね。周りにゃ森や田畑が広がってて、神社とかも平凡にあったんですわ。その地元の神社が、古墳の上に建てられてたって聞いて、それからですな」
枝形先生の言葉を、頭に思い浮かべてみる。
瞼の奥に浮かんだ情景は、巨大な高層建築が乱立し、車や電車が慌ただしく行き交う現代の街並みとは、かけ離れていた。
「昔の人は、こんな発展した街並みなんて、想像も出来なかったでしょうね。産業や交易が発達し、手持ちのスマホで遠く離れた外国人とも交流が出来る時代ですから」
「ある程度は、そうでしょうなぁ」
「え?」
ボクは、枝形先生の予想外の答えに驚く。
「確かに人類は、凄まじいまでに技術を進歩させて来ました。だがそれは、本当の意味で、人類の進化なんでしょうかねえ」
「ど、どう言うコトです?」
「今に生きる現代人は、自分で自分が食べる物を確保できますかい?」
「それは、コンビニやスーパーなどを、使わずに……と言うコトでしょうか?」
「ええ、そうです。現代人に、そんなコトをする必要は無いと仰りたいんでしょう」
「うう……多少は思いましたが、何か違う気もします」
「どう、違うんですかい?」
「する必要が無いんじゃ無く、出来ないんだと思います」
「ほう。流石は先生になるだけは、ありますな」
枝形先生は、腕を組んで感心した。
「そう、殆どの現代人に狩りは出来ない。農家でも無い限り、主食である稲を育てるコトすら出来ない。逆に言えば、出来なくても良くなった時代が現代なんでしょうな」
「そうですね。現代人より優れた技術を、彼らは持っていた」
「偉そうに言ってますがね。オレも、ライターやマッチを使わずに火を起こすコトも出来なければ、縄文式土器だって作れやしませんからね。そう思うと、邪馬台国の人たちも、凄い能力をたくさん持っていたんですよ」
「色々な技術が発達した反面、人類が失った技術も沢山ある……と」
「オレはね、先生。人類の進化って言われるモノの正体ってのは、周りのシステムやデバイスの進化だと思ってるんですわ」
ボクはその言葉が、凄く腑に落ちた。
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