発見の意味
「わかったわ。また、連絡します……」
瀬藤 癒魅亜はそれだけ言うと、豪華な扉の向こうに消えて行った。
恐らく扉の向こうは寝室なのだろう。
黒い大理石の床に似つかわしい、天蓋付きのベットがあっても不思議ではない。
社長とのやりとりで、彼女は疲れていたし、自信を失っているようにも感じた。
恐らく彼女は、シャワーでも浴びて眠りたがっている。
ボクは何も言わず、面接会場の部屋を出た。
派手なシャンデリアの並ぶ廊下から、煌びやかなエレベーター乗り場に移動しようとすると、一人の中年男性と目が合う。
「おや。新人の教師かい?」男は言った。
目は二重で上まぶたは腫れぼったく、太い眉毛が印象的だった。
「いえ、面接を受けに来た者です」
ボクは、彼がユークリッドの教師の可能性も高いと思い、そう答える。
久慈樹 瑞葉と瀬藤 癒魅亜のやりとりから、面接の事をあまり口外しない方がいい気がした。
「……お兄さん、税理士か何かかい? それとも、どこかの経営コンサルタント?」
中年男は気さくな感じで、アゴには不精ヒゲが蓄えられている。
「どうしてそう、思われるのですか?」ボクは警戒しながら答えた。
「どうしてって……この豪華なマンションの最上階は、ユークリッドの講師の為に用意されているのさ。下層もユークリッドのスタッフが住んでいる。講師ってのは、ユークリッドと契約する個人経営者でもあり、彼らはよく、税理士やコンサルを呼ぶのさ」
「そうでしたか。ボクは、学校の教師を目指してはいますが、今回の面接はそれとは違いますね」
「これはまた、酔狂な若者も居たモノだな。今のご時世に、学校の先生になりたいのかい?」
男は、シックなブランド物のスーツに身を包んでいたが、表情は少しやさぐれていた。
「いけませんか? ぼくは、今の時代でも、先生は必要だと思ってます」
「必要……ねえ。今の時代、教民法の元、教師の役割は民間へと移行されちまった。大勢がリストラされ、学校にしがみついた連中だって、教師なんて呼べない代物に成り下がってるんだぜ?」
男は、エレベーターまでの距離の間も、よく喋った。
「オレは、枝形 山姿郎(えがた さんしろう)てんだ。ユークリッドの歴史の教師さ」
ボクの見立ては、当たっていた。
ミラーボールのような表面処理のされた、エレベーターのドアが開く。
「今の時代、教師って呼べるのは、ユークリッドの講師くらいでしょうからね」
「別に、自慢してるワケじゃねえよ。オレもそろそろ、ヤバいんでね」
エレベーターは無人で最上階まで上がって来ており、ボクと枝形先生はそれに乗った。
「ヤバい、ってどういうコトですか?」「ま、口は災いの元って意味だよ」
中年男は透明なガラスの向こうの、低くなっていくマンション群を見ながら呟く。
「兄ちゃんも教師を目指すってんなら、オレの簡単な質問に答えてくれないかい?」
「え?それって、どんな……」「簡単な歴史の問題さ」
部屋で見た夕日は既に堕ち、すみれ色の帳が降りようとしていた。
「アメリカ大陸を発見したのは……誰だい?」
「それは、コロンブスですよね? もしくは……」
「そう、コロンブスが新大陸とやらを発見したとき、そこには既に人がいたよな?」
「アメリカ先住民族……インディアンと呼ばれた人たちですね」
ボクは、彼がどんな人物かが、何となく見えて来た。
「呼び方なんてのは、この際どうだっていい」彼は言った。
「実際にコロンブスが辿り着いたのは、大陸近辺の島なワケだが、その島にさえ人類は住んでいた。ここで重要になってくるのが、『発見』の意味だ」
「発見の……意味?」ボクは何のコトか解らなかった。
「もし、オレが教えているのが『西洋史』なら、西洋人で始めて発見した……で、辻褄が合う」
「そうですか……ボクが高校や大学で学んだのは、『世界史』です……」
「西洋人じゃ無く、『人類で始めて新大陸を発見した』……だったらどうだい?」
「最初に島に住んでいた彼らは、『人類ではない』コトになりますね」
ボクは言った。
彼の言っているコトは、一見すると屁理屈にも聞こえる。
だが、その根底には厳しい差別の歴史があり、教育の難しさをボクに教えてくれた。
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