モップとはたきとヴァール
「初日から授業をしろと言われるかは不明だが、一応はカリキュラムを考えたほうがいいよな……」
けれども、不安は隠せなかった。
『ユー・クリエイター・ドットコム』……通称【ユークリッド】。
この後発のストリーミング動画サイトは、教育動画の質とリストの質によって、学校教育からシェアを奪い取り、多くの教師をリストラに追いやった。
ユークリッドの動画は、国語や数学などの主要・五教科が存在し、それぞれが小学一年から大学四年まで分かれていた。
例えば、『高校一年の歴史』を選べば、そこに高校一年で学ぶ歴史の動画がすべて、順番通りにリストアップされるのだ。
このリストの質が、先行する動画サイトとの決定的な違いを生み、ユークリッドは躍進する。
「歴史の教師は先日、エレベーターでいっしょになった、枝形 山姿郎先生だ。やっぱ分かりやすいし、生徒の心を掴むのも上手いな」
動画の中の彼には、エレベーターで会った時の偏屈さなど、微塵も感じられない。
「やっぱプロだよな。長年に渡って学校の教師として働いた、経験や実績もあるんだろう」
その時のボクは、そう思った。
スマホを動画撮影用のカメラ代わりにして、自分の授業を撮影する。
背景は、古びた木造アパートの壁で、白板の代わりにカレンダーの裏側を張り合わせて使う。
本屋で買った大量の参考書を片手に、必死に試行錯誤を繰り返した。
「アカン、ほんまアカンやろ、これ……」
関西芸人風の口調が飛び出すくらい、酷い動画が取れていた。
「 ユークリッドの完成された動画と比べて、まるで大人と子供の作った動画くらいの差があるよな。これで、生徒が納得するのか? ましてや生徒は、あのユークリッドの女子高校生教師・瀬堂 癒魅亜なんだぞ!?」
さすがに、一夜漬けで何とかなる問題でもなかった。
とは言え、今のままではどうにもならない事など、目に見えている。
それに、彼女の前で偉そうに振舞った手前、どうしても何とかしたかった。
ボク は夜遅くまで、授業のロールプレイングを繰り返す。
教育実習の時にならった教師像は、生徒に解らないところの動画を、指し示すだけのアポイントメンターであり、到底参考にはならない。
参考にしたのはユークリッドの動画の教師と、昭和の時代の熱血教師のドラマだ。
「いい加減、明日の契約にも差し支えるな……」
時計はすでに十二時をまわり、正確には今日だったが、そんなコトも考えられず布団に潜り込む。
「やっぱ、寝てる場合じゃない……というか、眠れん!」
ボクは再び、授業の動画を撮影し始める。
真夜中ではあったが、アパートの他の住人は、すでに立ち退いていると思っていた。
「ちょっと、今 何時だと思ってるんですか!」玄関ドアの方で、少女の声がした。
「うわ、まだ人が残っていたんだ……すみませ~ん!!」
慌てて玄関の扉を開け、頭を下げる。
「アレ ……先生?」玄関扉の向こうの、誰かが言った。
「え……?」頭を上げると、そこには見覚えのある少女たちの顔があった。
「ひょっとして……卯月さんに、花月さん、由利さん?」
三人は、教育実習で派遣された先の中学で受け持った、生徒たちだった。
「そうですケド……こんな夜遅くまで、大声を張り上げて非常識じゃないですか!」
「ご、ごめんな。このアパート、もうすぐ立ち退きだから、もう誰も住んでないと思って……」
「まだ住んでますよ!」「わたしたちが!」「うるさくしないで!」
怒りを表す、パジャマ姿の三人の女子生徒。
「ス、スマンな。明日の授業の予行演習をしてたんだ。キミたちはもしかして、ルームメイトでここをシェアしてるのか?」
「かっこよく言えばそうです」「すぐに追い出されますケドね」「静かにしてくださいよ……」
去り行く三人 の背中には、それぞれモップとはたきとヴァールが揺れていた。
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