あるサッカー界の新星の迷い1
「倉崎。海馬にチームオーナーを任せるって言った、もう1つの理由は解ってる?」
名古屋の有名な喫茶店の、駐車場から出発する軽自動車の後部座席で、メタボ監督が言った。
「オレの……海外移籍ですか」
サッカー界の新星は、答えた。
「解ってるなら、イイね。倉崎の才能なら、出来る限り早く海外に挑戦しなきゃダメよ」
信号が、赤に変わる。
軽自動車は、横断歩道の手前の停止線で止まった。
「ですがデッドエンド・ボーイズは、オレの我がままで立ち上げたチームです。まだリーグ戦が始まったばかりの段階で抜けてしまっては、アイツらに申しワケが……」
「サッカーチームのオーナーなんて、金だけ出してりゃイイのよ。チームの戦術や選手起用にまで、口出しされちゃ溜まったモンじゃないね」
「口出ししているつもりは、無いのですが?」
「だったらそんな仕事、海外に居たって出来るじゃない?」
膨らんだ腹に、シートベルトをめり込ませながら語る、セルディオス監督。
「オーナーなんてのは、たまに顔出すくらいが丁度イイね。それより倉崎は、日本のサッカー界期待の新星でもあるんだから、もっと将来をちゃんと考えなきゃダメよ」
「はい……」
年長者の諫言(かんげん)に頷(うなず)く、期待の新星。
名古屋の車線の多い道路で、軽自動車の横を、たくさんの車が我先にと追い越して行く。
喫茶店で人の金で食べまくったメタボ監督は、やがて大きなイビキをかいて寝てしまった。
「あの、海馬コーチ」
「どうした、倉崎さん?」
「この辺りで、降ろしてもらえませんか?」
「ア? 駅までもう少しだぜ。そこまで、送って行くよ」
「いえ。実は、急用を思い出しまして」
「急用って……」
軽自動車の運転席に、窮屈そうに座っている男は、チラリとバックミラーを見る。
そこには、真剣な眼差しの倉崎 世叛が映っていた。
「わかったよ。この辺で、イイんだな」
「はい。今日は、有難うございます」
頭を下げる、デッドエンド・ボーイズの若きオーナー。
「オーナー代理の件だケドよ。少しだけ、考えさせてくれ。監督の手前OKしちまったが、やっぱ簡単には決めらんねェや」
「解りました。デッドエンド・ボーイズとしても、代理のキーパーも見つかってませんから」
「オレが言うのも何だが、早急に見つけた方がイイぜ。正直、オレがレッドでも貰って退場したら、控えのキーパーすら居ないんじゃよ」
「……はい」
「ンじゃ、またな。倉崎さん」
軽自動車は、サッカー界の新星を置き去りにして、車の群れの中へと消えて行った。
「もう、地域リーグの戦いは、始まってしまっている。日高グループの3チームが参加した今、今年の昇格を狙うにはもっと戦力が必要だ」
サッカー界の新星は、スマホを取り出し通話を終えると、近くの地下鉄の出入り口に駆け込む。
数駅だけ乗って、慌てて改札を通って地上へと出た。
「スマンな、一馬。急に、呼び出しちまって」
公園のベンチの前で立っている少年に、駆け寄るサッカー界の新星。
「……あの……今日は1体?」
か細い声で、少年が口を開いた。
「実はな、一馬。お前に、託して置きたいモノがあるんだ」
「ボ、ボクに……?」
「ああ。お前ももう、懐かしく感じるかも知れない。オレの弟の、ノートだ」
サッカー界の新星は、1冊のノートを少年に差し出す。
「こ、これって!?」
「ああ。死んだ弟、ヤコブのノートさ。これをお前に、託したいと思ってる」
ノートには、大勢のサッカー少年のプロフィールが、事細かく書かれていた。
少年はかつて、それを手がかりにデッドエンド・ボーイズのメンバーを集めた過去を持つ。
「実はな、一馬。オレの元には、海外クラブからオファーが届いている。労働ビザやら何やらあって現実的じゃない話も多いが、中には興味を惹かれるオファーもあってな」
サッカー界の新星と少年は、公園のベンチに座った。
無邪気に遊びまわる子供たちの姿はすでに無く、街路灯が明るい光を放ち始めていた。
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