水の底の怪異
9人の娘たちは、岩山の中にできた泉から、次々に水の中へと入って行く。
鮮やかな翡翠色のセノーテ最下部の貯水槽を、人魚のように泳ぐ少女たち。
「夢の中にあった光景と、そっくりだ」
ショチケ、マクイ、チピリの3姉妹よりは、多少幼さが残っている。
けれども親たちの美しさに、あと僅かばかりに迫る身体をしていた。
「親と同じで、綺麗な娘たちだ。親になった実感は、湧かないケド……」
ボクも、入り口となっている泉に片足を入れる。
「冷たッ……でも、心地よい冷たさだ」
自然にできた泉では無いコトは理解していたが、それでもセノーテ自体は固い岩盤を掘削して作られているのだ。
娘の誰かが言ったように、ミネラルなども豊富なのだろう。
「水の中でも呼吸ができるって、ホントなのか。昔、アメリカの映画でやっているのを見たが……」
1000年前の映画情報を思い出しながら、恐る恐る泉に潜ってみた。
水中だけあって青が強いものの、かなりの透明度だ。
「なるホド。喋るのは無理でも、息はできるみたいだ」
一旦顔を上げ、再び泉に潜ってみる。
泉の底には2つの大きなダクトがあって、貯水槽へと続いていた。
ダクトの中は緩やかな水流があり、片方は引き込まれる流れで、もう片方は押し戻される流れだ。
ボクは、入口であろう引き込まれる方のダクトに入る。
貯水槽は、かなり広いな。
そりゃあ、これだけのセノーテに住む人たちの飲み水になっているんだ。
当然と言えば、当然か。
ロマンとはかけ離れたつまらないコトを考えていると、娘たちがやって来た。
夢の中のセノーテと違って、彼女たちは水着を着ているし、妖艶(ようえん)と言うより無邪気に戯(たわむ)れている感じだ。
思えはこのセノーテの底には、ミネルヴァさんも眠っている。
時澤 黒乃と、そっくりな少女の姿となって……。
セノーテは、水深を増せば増すホドに蒼さが際立っていた。
水圧もあって深くは潜れないが、この奥底には多くの死者たちが眠っている。
そう思うと、少し恐くもなった。
その時だった。
娘の1人が、急に苦しみ始める。
イヤ、苦しむと言うより、藻掻(もが)いている感じだ。
……な、なんだ!
泳いで近寄ってみると、マクイの娘のマノラ・ムラクモだった。
彼女の脚に、長い毛のような何かが絡まっている。
蒼い水の中では完全に色は解らないが、真っ白に見える長い毛が水底から伸び、マラノの脚に絡んで彼女を引きずり込もうとしていた。
クソッ、取れない!
人の力で、振り解(ほど)ける感じじゃない!
死者の髪が長く伸びてって、ホラーでもあるまいに。
他の娘に助けて貰おうと周りを見ると、彼女たちの脚にも髪の毛が絡んでいた。
なにが起きている!
まさか、時の魔女の仕業か?
水底からは、さらに多くの髪の束が、誰かの脚に絡み付こうと迫って来ていた。
……すまない、娘たち。
一旦水の上に戻って、救援を呼ぶ他ない。
まだ脚を掴まれてはいなかったボクは、1人だけセノーテの出口のダクトへと向かった。
それを阻むように、真っ白い髪の毛が四方八方に広がって、網で魚を捕まえるようにボクを包み込んだ。
ゼーレシオン!
ボクは水の中で、叫んでいた。
ダ、ダメか……。
少しの時間はなにも起きず、諦めかけていたボク。
けれども、水の上でなにやら鳴き声がする。
突然、セノーテの表面を覆うガラスが割れ、怪鳥が飛び込んで来た。
「ケ、ケツァル!」
飛来した怪鳥は、白い髪の網を断ち切って、ボクをすくい上げる。
ケツァルはボクをくわえたまま、岩盤を削って造ったショッピングモール中央部の、広大な吹き抜け空間を飛び回った。
有名な遊園地のアトラクションよりも、迫力のある体験をするボク。
「ケツァル、降ろしてくれ。娘たちも、助けが必要だと知らせないと……」
パタパタと翼を羽ばたかせながら、ヘリコプターのようにその場で飛行するケツァル。
ボクの目の前に、2人の男が立っていた。
「その必要はありませんよ、宇宙斗艦長。これだけ大事になっていればね」
メルクリウスさんが、肩を竦(すく)ませる。
「だな。それより艦長、アンタいつから魚になったんだ」
もう1人の男が、怪鳥にくわえられているボクを見て笑った。
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