要らなくなった義務教育
教師を目指していた大学時代、先生の卵だったボクは教育実習生として、とある私立中学に赴任した。
「あ、今度の教育実習の先生、若くて可愛いジャン」
「そうかァ。なんだか、頼り無さそうだぜ」
「ホント、ホント。この時代に教師になる気でいるなんて、相当変わってんよな」
義務教育が、もう直ぐ無くなってしまうと言う時代に、教師を目指すのだ。
それも当然かと思いながら、あの日のボクは教壇に立って新任の挨拶をする。
黒板に自分の名前を書き、オールドタイプな自己紹介が終わると、ボクはベテランの女性教師の授業を見守りながら生徒の顔を確認していた。
「先生ってさ、なんで今さら先生なんか目指すの?」
「教民法が施行されて、学校での義務教育も終わるんでしょ?」
「先生になれたって、直ぐにクビなんじゃないの?」
ベテラン教師に、教室に残る許可を貰っていたボクに、気さくに話しかけて来た少女たちの集団。
その中のリーダー格が、卯月 魅玖(うずき みく)、花月 風香(かずき ふうか)、由利 観礼(ゆり みらい)の3人だった。
「それが子供の頃からの、ボクの夢だったからだよ」
そう言ったボクに、目を丸くする少女たち。
「アハハ、なにそれ」
「そんなんで、先生を目指してんの」
「おっかしィ」
3人に吊られ、ケラケラと笑う少女たち。
子供っぽさの中にも、すでに大人の女性のしぐさが見え隠れする。
「そうかもな。今じゃ、教育実習の受け入れ先も一部の私立の学校に限られているし、ボクの高校なんか教民法に対する抗議で、先生方がほとんど授業をしてくれなかったからね」
「どう考えたって、先生を目指さない理由でしょ、ソレ」
「義務教育なんて問題点多すぎで、だから無くなるんじゃない」
「もっと現実を見なよ、先生」
そう言って彼女たちが見せてくれたのが、スマホに映るユークリッドの教育動画だった。
「なんだ、その動画は?」
当時のボクは、その存在をまだ知らない。
「やっぱ、知らないんだ。ユークリッドだよ」
「えっと、正式にはユー・クリエイター・ドットコムだっけ」
「教育動画が、無料で見られるんだ」
「ユークリッド……教育動画?」
「そッ、各年代の5教科の授業を、1年分いつでもどこでも見られるってワケ」
「タブレットとネット環境くらい、あればだケドね」
「スマホやパソコンでも見れるよ」
新しいアイテムを、他人より先に知っているコトを自慢する少女たち。
時代やアイテムは違えど、よくある光景なのだろうと思っていた。
「ユークリッドか。この動画の授業で、勉強が頭に入るのか?」
「うん。メチャクチャ分かりやすくて、学校なんて要らないってくらい」
「正直、久高のババアの授業なんかより、1000倍は解りやすいね」
「最近は授業中も、イヤホンでユークリッド聞いてるモン」
「コラコラ、久高先生に失礼じゃないか」
「だって本当にそうなんだから、仕方ないでしょ」
「久高の授業って、言ってる意味解らないトコ多いんだ」
「そうそう。解らないのに、勝手に進んじゃうしね」
「それはだな。教育指導要領ってのがあって、1年で教えなきゃならない分が決まって……」
「要するに、生徒がわかってなくても進めちゃうってコトでしょ」
「だから義務教育って、無くなるんだよ」
「時代に合った新しいアプリが出来たんだから、利用して当然じゃん」
少女たちの意見に、反論できないままボクは職員室に帰った。
浮かない顔をしていたのだろう、ベテランの久高という名の女性教師が語りかけて来る。
「時代の流れですかね。わたしが新人だった頃は、考えられないくらいに技術が進歩してしまって」
ベテラン教師は、ユークリッドのコトも生徒たちの考えの変化も、知っていた。
「わたしは、今年で引退しようと考えてます。もう時代は、わたしなどを必要としていないのでしょう」
ベテラン教師の寂しそうな笑顔が、ボクに向けられる。
それからボクは、休み時間の教室にもちょくちょく顔を出して、生徒たちと交流を図った。
ボクの眼からは、イジメの兆候など見つかられず、短い3週間くらいの実習期間を終える。
それが、卯月さんに、花月さん、由利さんとの、最初の接触(コンタクト)だった。
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