ドクロのグラス
「どうやら宇宙斗艦長は、まだ疲れが残っているようですね。交渉は我々で進めますから、アフォロ・ヴェーナーに戻って休まれてはいかがです?」
メルクリウスさんの提案に、ボクは首を横に振る。
「イヤ、もう大丈夫です。ですが交渉の進行は、任せてしまって構わないですか?」
「モチロンですよ。ドス・サントス氏との付き合いは、ボクの方が長いですからね。トラロック・ヌアルピリとの絆が深まるように、尽力しましょう」
「お願いします」
ボクは、短く答えた。
けれども、頭にかかった霧は晴れた気がしない。
本当にアレが、夢だったのかとまだ勘ぐっていた。
「そんじゃさっさと、会議とやらを始めようぜ。なあ、ドス・サントス」
キャラメル色のソファから、果物カゴのテーブルに脚を投げ出す、プリズナー。
「小僧が、交渉の礼儀作法も知らんようだな?」
「ああ、そうさ。アンタと同じでね」
豪奢なビロードの椅子に座った男は、表情を強張らせた。
手の込んだ彫刻が掘られた飴色の机から、酒瓶を1本取り上げて立ち上がると、キャラメル色のソファーにやって来て腰を掛ける。
「オレは今回、トラロック・ヌアルピリの代表としてこの椅子に座っていると共に、北米・南米の企業国家の代表としても、この椅子に座ってんだ。言ってる意味が、判るかい?」
ドス・サントスは、夢の時より多少はマシな態度で、威圧(プレッシャー)をかけて来た。
「つまり貴方の意見は、南北のアメリカ大陸の意見でもあると言うコトですね?」
「へへ、そう言うこった。少しはまともに、交渉ができそうだな」
メルクリウスさんが、赤茶色の戸棚からグラスをいくつか取り出して、テーブルの上に置く。
ドクロがいくつも並んだ、水晶のように輝く透明なグラスだった。
「交渉事に、酒は付き物だ。アンタは具合が悪いみてェだが、1杯くらいは行けるだろ」
「そうですね。では、1杯だけ……」
ボクは、ドクロのグラスをかかげた。
「乾杯だ、宇宙斗艦長」
2つのグラスが衝突し、中の液体が飛んで交り合う。
ヨーロッパでは、毒が入っていないコトを示す儀式だ。
ボクはグラスに口を付け、僅かに傾ける。
流れ込んできた液体が、ボクの喉を焼いた。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「だ、だいじょうぶですか、おじいちゃん」
心配したセノンが、ボクの背中をさすってくれる。
「ガハハ、アンタの女か。ずいぶんと可愛らしい顔した、嬢ちゃんじゃねェか」
「ま、まあ、そんなところです。それより、交渉を始めましょう」
ボクの左手が、セノンを傍らに抱き寄せていた。
「了解だ。まずはこっちの要求だ。ゲーとウーの暴走について、知っている情報をくれねェかい?」
「わかりました。恐らくですが、2つのコンピューターの暴走には、時の魔女が関わっています」
「時の魔女……なんだ、そりゃ?」
「ドス・サントスさんでも、ご存じないんですか?」
「悪ィが、聞いたコトのねぇな」
ボクの質問に、機嫌を損ね酒をあおるドス・サントス。
「宇宙斗艦長、ムリも無いコトなのですよ。時の魔女に関する情報は、ゲーやディー・コンセンテスによって、厳重に管理された重要機密なんです。例え地球最大の企業国家のトップと言えど、知らされてはいないのです」
「それを話してしまって、構いませんか?」
「仕方ありませんね。すでに火星での事変で、謎の兵器群によって大勢の人間が死んだという情報も、地球に届きつつあります。人々も黒幕の存在を、薄々気付き始めているでしょうから」
「わかりました。時の魔女について、火星での出来事と木星圏での出来事を、お話します」
ボクは自分の体験談を話し、ドス・サントスは意外にも素直に聞き入ってくれた。
「なるホドな。ゲーやウーの暴走に、そんな黒幕が関わってやがったのか」
何杯ものグラスを空にしたドス・サントスは、フラ付きもせず立ち上がる。
「貴重な情報を、感謝するぜ。代わりと言っちゃなんだが、アンタに見せてやる。セノーテをな」
ドス・サントスはボクたちを、ショッピングモールの吹き抜けのような空間に案内した。
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