思わぬ生徒
1週間が過ぎ去り、次の1週間がやって来た。
ボクの教師としての人生が、最後となるかも知れない試練の1週間だった。
「やれるコトは、出来る限りやったハズだ」
洗面台の鏡に映った顔が、緊張で強張っている。
「あとは生徒たちを、信じるだけじゃないか」
頬を叩いて気合を入れ、顔に冷水をかけた。
オーブントースターに放り込んであったパンを取り出し、インスタントのコーヒーを煎れる。
いつもやっているルーティーンのハズが、今日はパンを口に運ぶ気にならなかった。
「テストを受けるのは、ボクじゃなく生徒たちだってのに……」
落ち着かないボクは、コーヒーだけ口に入れて、パンはオーブントースターに戻す。
ソファに座って、見たい番組もないのにテレビを付けた。
『本日、ゲリラライブがあるとの情報が、いきなり飛び込んで来ました。もちろんライブが行われるのは、先日正式名称が決まったユークリッド・フェリチュタスアレーナです』
女性リポーターが、興奮気味にまくし立てる。
「な、なんだって!?」
ボクが驚いた理由はもちろん、アレーナの正式名称が決まったコトなどではなかった。
『多くの公募の中から命名権を獲得したのは、アメリカのネットショッピング大手であるフェリチュタスグループで、5年で1兆円ともウワサされており……』
ボクにとってはどうでもイイ情報を聞きながら、手早く身支度を整える。
「今日は、みんなのテストがある日だってのに……どう言うコトだ」
慌てて家を飛び出し、地下へと続く階段を駆け降りようとした。
「待てよ。テレビに映ってた女性リポーターの背中に、大勢のマスコミ関係者が集まりかけていたな」
ボクは地下鉄移動をあきらめ、振り返った先にある大通りで、タクシーを呼び止める。
「すみません。天空教室のあるマンションの、地下駐車場に行って下さい」
「お客さん……わかりました。地下駐車場に付ければいいんですね」
初老の運転手は、ボクの顔を見ただけで納得した。
多くの車で詰まった車道を走る、タクシーが左折する。
マスコミの局のロゴが入った車も、同じ方向へと左折して来た。
「お客さん、なんかあったんですかい?」
答えたくなければ聞き流すといった態(てい)で、質問を投げかける運転手。
「今朝、ユークリッドのアイドルたちの、ゲリラライブがあるとの発表があったんですよ」
「それでこんなに、マスコミ連中が集まってるんですか。へェ~」
初老の運転手にとっては、どうでもイイことなのだろう。
「お客さん、どこかで見た顔だと思ったら、天空教室の先生じゃないですかい。有名人を乗せるトコになるとは……孫に自慢しても構いませんかね?」
「えッ、ええ。まあ構いませんが、ボクはそこまで有名じゃないですよ」
「ご謙遜なさって。ウチの孫は女のコなんですがね。先生のファンなんですよ」
「ボ、ボクのファンなんですか!」
「勉強嫌いで、ユークリッドの動画もぜんぜん見なかったんですがね。先生の授業の動画を見て、勉強する気になったみたいなんですわ。わかり易いし、優しそうだし、可愛いって言ってましたよ」
「か、可愛い……ボクが?」
「おっと、マンションの前に、マスコミ連中が群がってますわ」
後部座席からフロントガラスを見ると、カメラやマイクを持った異様な集団が陣地を構築していた。
「こりゃまた、凄い数ですな。自分たちの違法駐車は、ニュースにしないんですかね」
中継車の間を縫うように走るタクシーは、地下へと入って行く。
「ありがとうございます。お孫さんに、宜しくお伝えください」
ボクはタクシーを降り、運転手に礼を言った。
「礼儀正しい先生だ。孫が、好きになるワケですぜ」
窓の向こうで、小さく頭を下げる運転。
タクシーは地上へと続くスロープを抜け、マスコミの構築した陣地へと引き返して行く。
「思わぬところに、生徒も居るんだな」
ボクは頬を叩いて気合を入れ、エレベーターホールへと向かった。
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