袴田の才能
「なんか袴田のヤツ、一方的に押してるわね」
聞えないのを良いコトに、ユミアが言った。
「アイツのフリッカーっぽいジャブが、相手を寄せ付けないんだ。それにフックも、大きく外側から飛んでくる。相手にとっては、かなり厄介だろうね」
ボクシングジムの窓に貼ってあるポスターやらの隙間から、中を覗き込むタリア。
「どちらも、長いリーチが活きてるってコトか」
「そうだよ、先生。フックも変則気味で、斜め下から打ち上げるみたくなってる」
「なるホド、アッパーにも見えるな」
「ド素人のアイツは、基本も無茶苦茶だからね。でも天性のスタイルを、持ってるのかもよ」
そうこう話しているウチに、袴田の対戦相手の足元がフラ付いて来た。
「いよいよ決着(フィニッシュ)だよ、凶輔」
タリアが、小声でそう言った様に聞える。
それに呼応したかの様に袴田は、相手のボディに左ストレートを叩き込んだ。
相手の身体がくの字にヘシ曲がり、マウスピースが宙に舞う。
「きゃあッ」
顔を両手で覆う、ユミア。
袴田は、落ちて来た相手の頭を、右のアッパーカットで天へと突き上げた。
「勝負あったね。んじゃ、行こうか」
タリアは、地下鉄の駅の方へと歩き始める。
「袴田には、会って行かないのか?」
「別にイイだろ、子供じゃあるまいし。アイツはアイツなりの道を、歩き始めたんだ」
「タリアの目から見て、プロのボクサーとしてやって行けそうか?」
「プロには、タブンなれると思うよ。下のランカー相手なら、けっこう通用するんじゃないかな」
「アイツったら、そんなに強いの?」
「あくまで下位ランクの話さ。ボクシングってのは、上に行けば行くホド、化け物がのさばってるんだ。アタシなんかが太刀打ちできないくらいの、凄いヤツらがね」
「タ、タリアが太刀打ちできないって、どんなヤツらなのよ?」
「とんでもなくタフで打たれ強かったり、骨を砕くくらいのハードパンチャーだったりと様々だね」
プロプロボクシング界の頂点は、野生の獣たちの跋扈(ばっこ)する修羅場だった。
「アイツの持ってるリーチの長さも、通用しなくなるってワケか」
「今のままじゃ、ただのオモチャさ。それを武器に変えれるかは、アイツの努力次第だよ」
「1R(ラウンド)3分もかからずに相手を沈めた、袴田のリーチがオモチャか」
「そっか。タリアを孕ませるにふさわしいかは、アイツ次第……」
「ン、ユミア。今、なんて言った?」
「な、なな、なんでも無いわよ、タリア」
「それより急がないと、午後からの授業が始まってしまうぞ」
「先生がここに居るんだから、始まらないだろ」
「だから急がないと、行けないんだ」
ボクたちは、急いで乗り場へと続く階段を駆け降り、地下鉄へと駆けこむ。
「アイツに偉そうに言っちまった手前、アタシも頑張らないとだね」
パーカーのフードを被った、少女が言った。
「そうね。久慈樹 瑞葉の喜ぶ顔なんて、絶対に見たくないわ」
ユミアもいつの間にか、やる気になっている。
「袴田が、プロのボクサーを目指すように、ボクもプロの教師として意地を見せないとな」
なんのコトは無い。
袴田のスパーリングを見て絆(ほだ)されたのか、ボク自身もその気になっていた。
ボクたちは天空教室へと戻ると、さっそく午後の授業に入る。
教室に残された生徒を相手に、ボクは真剣になって問題点を指摘した。
「ユミア。戻って来たアロアとメロエに、数学の解らないところを教えてくれるか?」
「ええ、わたくし達、今セカンドシングルの収録から戻って来たところですのよ!」
「少しは、休ませていただかないと……」
「集中力が、まだあるってことよね。それを数学へと、切り換えてもらうわ」
「そ、そんな無茶クチャですわ」
「ヒイィィン!」
翡翠色のツインテールのアイドル教師となったユミアを前に、無理やり勉強を強いられるアロアとメロエのゴージャス双子姉妹。
「時間は、20分だ。それくらいなら、何とかなるだろ?」
「ま、まあ、そうですわね」
「わ、わかりましたわ」
「オーケーよ。でもその分、集中はしてもらうわよ」
ボクシングのように短い時間で集中させるコトを、ボクたちは実戦していた。
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