ブレンドとメロンソーダ
「あったわ。あの建物よね。でも、なんの施設かしら?」
黒髪になったユミアが、年季の入ったオフィスビルに挟まれた、古びた建物を指さす。
「たぶん、ボクシングジムじゃないかな」
ボクたちはすでに地下鉄を降り、改札を出て長い階段を昇って地上に立っていた。
「ホントだ。水野ボクシングジムって、ところよ」
ユミアのスマホには、ジムの名前と住所や電話番号が表示されている。
「ボクシングジムって、こうして街中に普通にあるモノなのね。でも2人がここに入ったって、確証はどこにも無いわよ」
「それはわかっている。でも、タリアは昔、ボクシングをやっていたんだ」
「そっか。タリアの亡くなられたお父さんって、ボクシングで国体の準優勝をした人だった」
「行ってみる価値は、あるんじゃないか」
「そうね。でも、わたし達が追跡してるのがバレて、大丈夫かしら?」
「流石に、気まずいか。道路を挟んだ反対側に、喫茶店があるな。そこで様子を見よう」
「わかったわ」
ボクはユミアと、昔ながらの喫茶店に入る。
カラカラとドアベルが鳴り、香ばしいコーヒー豆の香りが出迎えてくれた。
アンティークな椅子に座り、手書きのメニュー表を眺めていると、女性の店員が水の入ったグラスとお絞りをテーブルに置く。
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
「ブレンドを1つ。キミは、なににする?」
「こ、これ……」
向いの席に座った黒髪の女の子は、メニュー表のメロンソーダを指さしていた。
「ブレンドをお1つ。メロンソーダをお1つですね。畏(かしこ)まりました」
店員は手慣れたモノで、注文を繰り返して去って行く。
「ヤレヤレ。相変わらずキミは、アナログな注文方法が苦手なようだな」
「フンだ。今どき、タッチパネルで注文が当たり前なんだから。そういうお店に入れば、済む話よ」
「下町の喫茶店は、アナログな雰囲気を楽しむ場所なんだがな」
「それでもせめて、呼び鈴くらい置くべきよ」
「ない店だって、あるさ。少しは慣れないと、店員すら呼べずにひたすら時が過ぎ去るぞ」
「ウウッ!?」
「どうやら、そんな経験があるみたいだな……」
ボクは窓の外を眺めながら、お絞りで顔を拭く。
ボクたちが座った窓際の席からは、水野ボクシングジムがほぼ正面に見えた。
雑居ビルと体育館を合わせたような外観のビルの、窓に貼ってある試合告知のポスターらの隙間から見える、ボクサーらしき人たち。
「女性も、けっこういるみたいだな」
「ボクシングは、ダイエットに良いって始める人も多いのよ」
「なるホドな」
2人でボクシングジムの様子を見ていると、暖かな日差しの落ちるテーブルにコーヒーとメロンソーダが置かれる。
「ブレンドコーヒーと、メロンソーダになります。ご注文は、お揃いでしょうか?」
「ああ、有難う」
店員に礼を言うと、女性は頭を下げて帰って行った。
ボクはコーヒーの湯気を顎(あご)に当て、香りを楽しむ。
すると目の前の少女が、窓に視線を貼り付かせながら言った。
「みて、先生。今、ジムから出て来た2人。タリアと、袴田(はかまだ)ってヤツじゃない?」
「え?」
視線を窓に向けると、車道を挟んだ反対側の歩道に、真っ赤に髪を染めた男とパーカーのフードを被った人物が、並んで歩いている。
「あのパーカーの人って、タリアよね」
「恐らくな。タリアも女性としては高身長だから、知らない人には男が2人並んで歩いてるように見えてるだろう」
「ど、どうする。早く尾行しないと、どこか行っちゃうよ」
「イヤ、ここで様子を見よう。2人が向っている先は、地下鉄の駅とは反対方向だ」
「なるホドね。いざとなったら、またスマホで情報調べればイイわけだし」
ユミアは、ストローでメロンソーダを一気に飲み干す。
ボクも熱いブレンドコーヒーを、できるだけ素早く呑んだ。
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