生徒の未来
生徒たちは、久しぶりに全員揃って机に着いている。
沈黙が支配する天空教室で、必死になって目の前のテストを解いていた。
ボクは、カンニングなどの不正行為が無いように、机と机の間の通路を巡る。
問題の解答欄を、綺麗な文字で埋めている生徒もいれば、汚い文字が疎(まば)らに書いてあるだけの生徒もいた。
授業の時間は50分だったから、テストの時間も必然的に50分となるかと言えば、そうでは無い。
始業前に10分くらいのコミュニケーションがあって、実際のテスト時間は40分弱だった。
子供の頃に、昭和の熱血教師ドラマのネット動画を見て先生を志してボクにとって、勉強とは夢を叶えるための必然であり、なんの疑問も持たずにやっていた。
けれども多くの生徒にとって、勉強とは決して必然では無い。
嫌いな食べ物を飲み込むように、悪戦苦闘をしながら解答欄を埋めていた。
『リーンゴーン』
チャイムが、鳴る。
ボクは再び机の間を巡って、答案を回収した。
「ふ~、やっと終わったァ!」
緊張と拘束から解放された、ライオンたてがみ少女が大きく伸びをする。
「終わったはイイが、お前。ちゃんと出来たのか?」
「そりゃ出来て無いケド、できるだけ解答欄は埋めたよ。タリアは、どうだった?」
「ウ……まあ、そこそこかな」
「なんだよ、タリアですらそこそこジャン」
「うっせ。最近は、勉強できて無かったから、思ったより解らんかったんだ」
「せやろ。ウチも、ぜんっぜんアカンかったわ」
「キアの場合、入院とかあって大変だったモンね」
「ま、まあ、元々大した成績やあらヘンかったケドな」
ユミアの気遣いに、申しワケ無さそうに赤い髪の頭をかくキア。
「取り合えず、まずは自己採点をしましょう。出題用紙は貰えるみたいだから……」
「ライア、それはムリよ。少なくともわたしの生徒は、自分の回答を覚えてたりしないわ」
「そ、そう。じゃあわたしとメリーとユミアとで、正解を求めましょう」
3人の優等生は、さっそくボクが作ったテストの正解集の作成に入る。
全員が彼女たちのように、高い問題解決能力を持っていれば助かるが、それこそ教師の存在意義が揺らぐ結果になるだろう。
「それじゃあお前たち。次の授業も、枝形先生の歴史のテストだから頑張れよ」
ボクはそう言い残すと、生徒たちから集めた回答用紙を携えて天空教室を出た。
豪奢な扉を閉めると、そこは超高層マンションの最上階の一室だと改めて思い知らされる。
天空教室などと銘打っているが、ボクがユミアに雇われなければ、ここはユークリッド創業者の妹である彼女の、セレブな部屋に過ぎなかった。
「ま、ボクがここに来れた爪痕くらいは、残せたのかもな……」
眼下に雲を見下ろす円筒形の建物の最上階から、広大な都会の街を眺める。
「このイラストみたいな、現実離れした景色を見られるのも、あと僅かか……」
ため息を吐き出す、ボク。
「随分と、弱気な発言だね」
エレベーターのエントランスホールの1面に広がったガラスに、人影が映った。
「久慈樹社長……」
「その分だと生徒たちの学力アップも、あまり上手く行ってないようだね?」
ユークリッドの最高責任者は、分り切ったコトを言った。
「そうですね。自分の指導力の無さに、呆れているところですよ」
ガラスに映った冴えない男が、冴えない顔をしている。
「キミは、愚直な男だな。ボクはキミの生徒をアイドルにし、彼女たちが勉強する時間をかなり削っているのだが?」
「お陰で、大ダメージを喰らってますよ」
「キミには、生徒たちがアイドルになるコトを、禁止するコトも出来たじゃないか」
「ボクには、彼女たちの未来を決める権利なんて、ありませんから」
ボクは、偉そうなコトを言った。
正直、久慈樹社長の言った台詞(セリフ)を、何度言おうかと悩んだコトか……。
ボクは、憧れていた教師になれたし、先生と呼ばれる心地よさも知ってしまった。
今ある役職(ポジション)に、しがみ付きたくもあった。
「彼女たちの未来は、彼女たち自身が決めるモノです。教師は、その手助けくらいしかできません」
「自分の信念に、頑(かたく)なだね。そう言うところが、アイツに似ているんだ」
冴えない男の後ろに映っていた男は、ガラス窓から消えて行った。
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