脱獄
地球に舞い戻ってから、3日ホドの時が過ぎた。
漆黒の雲からは、止まない汚染水が降り続いている。
「ヤレヤレ、今日もなにも無いですね」
監獄にブチ込まれてから、退屈が何よりの苦痛だった。
「まあな。来る日も来る日も、死ぬまで変化の無い時間を過ごすんだ。それが、何よりの刑罰かもな」
顔も見たコトの無い壁の向こうの男が、皮肉を言う。
「昔のボクなら、喜んでこの環境を受け入れていたかも知れないです」
「ただ退屈なだけの牢獄で、これといって労働や刑罰が科せられるワケでも無ェからな。ただ、今のアンタは違うってコトだろ?」
1000年昔のボクですら、退屈に対して完全に順応できわワケじゃない。
自分の部屋に引き籠って、大好きだったハズのゲームをやっていても、どこか完全に楽しめないでいる自分に気付く。
アニメを見たり、マンガを好きなだけ読んでも、モヤモヤした気持ちは晴れなかった。
「ボクは昔、この国に住んでいました。学校に通うのがなんとなく嫌になって、自分の部屋で引き籠っていたんです」
「学校だって。兄ちゃん、この国って……どの国だい?」
「日本って、国です」
「日本って言ったら、1000年も前に滅んだ国じゃねぇか!」
「はい。ボクは、冷凍睡眠者(コールド・スリーパー)なんです」
「そりゃ、ホントかよ。若いのなんて呼んじまったケド、オレよかゼンゼン年上じゃねぇか」
壁の向こうの声が、少しだけ畏(かしこ)まった。
「1000年間、冷凍カプセルの中で寝ていただけですからね。1000年分の人生経験を、積んだワケじゃないんです。中身は、高校生のままなんですよ」
「それにしたって、1000年前って言えば第三次世界大戦よか前じゃねえのか?」
「はい。その頃の日本は、まだ水面もここまで高く無くて、空も蒼かったです」
「信じられねぇな。オレは生まれてこの方、黒くて雨ばかり降る空しか、見たことが無ぇからな」
「ボクの時代の人間が、誤った選択をしたから、地球はこんな惑星になったのでしょうか?」
「どうだかな。オレの首根っこには、逃走防止や情報管理も兼ねたコミュニケーションリングが巻き付いてやがるが、どうも完全な情報を提供してはくれないみたいでな」
刑務所に収監された囚人だから、情報が統制されているのか……それとも?
「名前を、聞いてもいいかい?」
今さらとも思ったが、それだけ牛頭(ごず)刑務所の囚人は、なにに対しても無頓着なのだろう。
「群雲 宇宙斗です」
「へえ、良い名じゃねぇか。それでアンタ、自分の部屋の布団に包まってたら、1000年が経過してたってハズ、無いよな?」
「もちろんです。引き籠っていたボクを、ある女のコが布団の中から引っ張り出してくれました」
「ほう。アンタにも、女が居たってワケだ」
「そんな感じじゃないですよ。ただボクを、冷凍睡眠に誘って来たんです」
「ハア、そりゃ随分と、変った女だね?」
人に言われると腹が立つが、ボク自身も当時はそう思っていたのだ。
「その女と、冷凍睡眠カプセルで寝てたら、1000年が過ぎてたって話かい?」
「ボクに関しては、そうです。でも、ボクを未来に導いてくれた女の子は、未来に辿り着くコトはできませんでした」
それから暫くの間、壁の向こうから声は聞こえなくなった。
「悪いコト、聞いちまったかな。だけどアンタはやっぱ、こんなところに居ちゃいけねぇよ」
声が、天井の方から聞こえる。
「ア、アナタは……!?」
真上を見上げると、天井のパネルの一部が外れ、その向こうに誰かが居た。
「ま、脱獄とやらの真似事は、仕込んであったのさ。最も、本気で使う気は無かったがね」
天井から、ハシゴかロープでも垂らすのかと思いきや、男はボクの目の前へと飛び降りる。
「オレのコトは、ギムレットとでも呼んでくれ」
天井から降りて来た男が、そう告げた。
男は黒人で、痩せてはいるが背は高く、灰色の髪を小さく編んでいる。
年齢も、外見は20代くらいに見えた。
「こ、こんな目立つマネをして、大丈夫なんですか?」
「ああ、当分はな。ここの警備システムは、かなり旧式でな。監守のアーキテクターどもをハッキングして、外に出るなんざ朝飯前よ」
ギムレットが宣言した通り、目の前の鉄格子の扉が、ガランと開いた。
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