朧月夜(おぼろづきよ)
「オイオイ、いい加減に落ち込むのも止せよ。相手は、ユークリッドのコンピューターなんだ」
ボクの肩に寄っかかったまま、自分で歩こうとしない友人に向って言った。
「AIサマだよ。ユークリッドの世界中のサーバーをリンクさせ構築した……な」
「もうアポ、取ってるんだ。行かないにしろ、断りの電話でも入れて置かないとだなあ」
「そんなの、お前が入れろ。オレはもう、作曲家としての自信が木っ端みじんに撃ち砕かれてんだ」
「だったら、プレイ・ア・デステニーと、プレジデントカルテットの、ソロ曲の作曲はどうすんだよ?」
「そんなモン、あの2人の人形の作った1200曲のウチの、なん曲かを使えば問題ないだろ!」
「まあ、それもそうか」
「オイ、そこは否定しろ。お願いです、否定して下さい!」
そう言いつつも友人は、ボクの首に絡めた腕をヘッドロックへと切り替える。
「イデデ……わかった、悪かったから、手を離せ!」
ボクが友人の腕を振り解くと、友人は街中の道の上にうずくまった。
「仕方の無い、ヤツだなあ。とりあえず、バーでの取材はキャンセルして置くぞ」
「ああ……ん、バーか。バーなら、行ってもいいかな」
友人は、ゆっくりと立ち上がる。
「どっちにするんだ、行くのか行かないのか……」
「行くよ。取材申し込んどいて、ドタキャンも厳しかろう」
友人の眼が死んでるのが気になったが、ボクたちは地下鉄に乗って目的地へと移動した。
「ここが目的地のバーか。まさか、この店だったとは……」
バーはかつて、ユークリッドの科学の教師である、鳴丘 胡陽(なるおか こはる)に連れて来てもらった店で、『朧月夜』と言った。
「ン、どした。来たコトある、店なのか?」
「ま、まあな。正直に言うと、あまり良い想い出が無い」
ウォッカベースのカクテルばかり注文してしまい、酩酊し醜態を晒した記憶がよみがえる。
「いいから、入ろうぜ。今のオレには、こんな店が必要だ」
疲れ切った顔の友人は、和風の引き戸を開け、ヨロヨロと中へと入って行った。
ボクも足を踏み入れると、和風な外観とは打って変わって、中は薄暗いムーディーな空間が広る。
落ち着いた洋風バーのテイストに、真っ白な玉砂利の敷かれた小さな中庭も混ぜ込まれ、相変わらずお洒落な店だと思った。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」
バーカウンターに居た初老の男が、カウンターテーブルに氷と水の入ったグラスを置いた。
「あ、あの、オレたち……いや、わたし達は、ウェヌス・アキダリアの取材の件で……」
「ハハ、伺っております。ウチの店を撮影に使っていただけるとは、光栄の限りですよ。まだアイドルの方も、撮影スタッフの方々も来店されてませんので、お掛けになって下さい」
マドラーによって、氷がグラスの中でカラカラと周り、まるでカクテルのように置かれる。
2つ並んだグラスの前の椅子に、ボクと友人は座った。
「この間は迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありません。あまり記憶もないのですが……」
「また、お越しいただけましたね。何よりです」
バーテンダーは、静かにグラスを拭きながら微笑んだ。
店の正面の壁に、スリッドくらいの障子窓があり、そこから夕日が差し込んでグラスを赤く染める。
取材までの時間を、どうやり過ごそうかと思っていたとき、友人が口を開いた。
「カクテルを1杯……いただけますか?」
「オイ、お前。取材前に、なに言って……」
文句を言いかけたボクの口は、友人の悲壮感漂う顔を見た途端、動きを止める。
撮影前だからなのか、まだ夕方だからなのか、店にボクたち以外の客は居なかった。
初老のバーテンダーは、少し間をおいてから後ろを向き、戸棚から蒼いボトルを取り出す。
銀色のシェイカーに氷を入れ、ボトルの酒とジュースを注ぎ、カタカタと振り始めた。
「なにか、お悩みのようですな。今は店に、男ばかり3人です」
そう言うとバーテンダーはシェイクを止め、円錐を逆さにしたグラスに中身を注ぐ。
少しだけ白くなったカクテルに、ライムを添えて友人の前に差し出した。
前に来たとき、鳴丘 胡陽が頼んだカクテルで、名をギムレットと言った。
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