幻武館
河べりの、簡素な練習場近くの土手。
ボクがなんとなく抱えてしまった女の子は、腕の中で小さく震えていた。
「1年、2年は今日は家に帰って。こんなコトがあった後じゃ、流石に練習どころじゃないでしょう」
「は、はい。解りました」
「せ、先パイがたも、お気をつけて……」
バドミントン部のキャプテンらしき子に言われ、少女たちの何人かがお辞儀をして立ち去って行く。
「わたしは、海帆 春香。悪いんだケド、彼氏さん。沙鳴をそのまま、家まで運んでくれるかな」
彼女の問いかけに、ボクはコクリと頷く。
ホントは、『彼氏』じゃないって否定しなきゃだケド、喋れないのだから仕方ない。
「3年のアンタらも、付き合ってくれる?」
「わかったよ、キャプテン。沙鳴は、わたしたちの為に頑張ってくれたしね」
「沙鳴の竹刀とカバン、アタシが持つよ。綾は、彼氏さんのボール持って」
手際よく仕事を分担する、バドミントン部3年の少女たち。
ボクは、海帆さんに先導されて、千葉さんを抱え堤防の土手を登る。
正直、腕に抱えた少女は小柄で軽かったものの、腕がしびれるくらいにしんどかった。
「沙鳴の家って去年、ウチらが夏の合宿やったトコだよね」
「そうよ。学校の近くだからと言う理由で、沙鳴のお父さんが好意で貸して下さったの。お陰で、夏の大会も良い結果が残せたわ」
「懐かしいな。あの道場かぁ」
「みんなで泊って、いっぱい練習させて貰ったモンね」
どうやら彼女たちには、共通の想い出があるらしい。
「あの辺かな。こっからもう見える距離だから、彼氏さん、頑張って」
海帆さんの言うには、今いる堤防のテッペンから見えるようだ。
ボクは千葉さんを落とさないよう慎重に、堤防の階段を一段ずつ降りて行く。
「ホラ。ここよ、沙鳴の家。おっきな道場なんだよ」
堤防下の街の路地を少しばかり抜けると、住宅街や小さな町工場が並ぶ一角に、土塀に囲まれた瓦葺(ぶ)きの道場があった。
『幻武館』……確かに、立派な道場だ。
このコは、この道場の娘さんなんだな。
「沙鳴、上がらせてもらうわよ」
海帆キャプテンの問いに、腕の中の少女はコクリと頷く。
彼女はずっと、ボクから顔を背けたままだ。
「じゃあ彼氏さん、沙鳴をお風呂場まで運んでくれるかしら」
なんでお風呂場……と思ったものの、少し考えれば解かるコトだよね。
ボクは言われるまま門をくぐり抜け、千葉さんをお風呂場のタイルの上に降ろした。
「あ、あとはわたしらがやっとくからさ」
「彼氏さんはキャプテンと、居間でお茶でも呑んで行って」
付いて来た3年生であろう4人の少女は、ボクとキャプテンを残しお風呂場の扉を閉める。
「じゃあ彼氏さん、こっちよ」
ボクは、海帆さんの背中にくっついて、廊下を歩いた。
道場のある大きな建物と、いくつかの建物が小さな渡り廊下で結ばれている。
「わたしと沙鳴は、幼馴染みなの。沙鳴のお父さんに挨拶してくるから、ちょっと待ってて」
畳が敷かれた居間にボクを残し、海帆さんは障子の向こうへと消えて行った。
黒光りする木の机には、彼女の煎れたお茶が置かれてある。
うわあ。知らない家に1人で居ると、緊張するなあ。
家の人とか、入って来ませんように!
ボクは心の中でそう願ったものの、直ぐに玄関の方から声が聞こえた。
「ただいま……ってアレ。沙鳴のヤツ、ずいぶんと友達、連れ込んでんなあ」
声は若い男の声で、なんとなく聞き覚えがある気がする。
「……たく、今日はナゼだかあっさり練習が終わって、早目に帰れたってのに……」
居間の障子が、いきなり開いた。
「おわッ!? 居間に人が……って、み、御剣ィ!?」
その向こうで、日焼けした身体にボクと同じ制服を纏った、ツンツン頭の男が驚いている。
「な、なんでお前が、居るんだァ!?」
ボクも彼と同じ台詞を、言いたかった。
何故なら、そこに立っていたのが、クラス委員長の千葉 蹴策だったからだ。
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