抗議の死
「キミがこの教会の……お父さんの牧師さんは、今日はいらっしゃらないんだな?」
ボクは、エリアに問いかけた。
「そうよ……」
翡翠色の瞳が、ボクから逃げるように下を向く。
彼女のサックスブルーのストレートヘアからは、ポタポタと雫が落ちていた。
「エリアくんの父君は、アイツの葬儀の後だったかな。体調を崩されてしまってね。今は、街の病院に入院されているよ」
目の前のズブ濡れ少女の代わりに、久慈儀社長が答える。
「そうだったのか。だけどエリア、キミも普段は天空教室に寝泊まりしているんだろう?」
「まあね。今は葬儀や礼拝がある時だけ、牧師会から牧師さんを派遣して貰ってるんだ」
胸を腕で隠しながらボクの横をすり抜け、礼拝堂の十字架の右にあるドアに駆け込むエリア。
どうやら扉の向こうはバックヤードらしく、制服から着替えたエリアがスーツ姿で戻って来た。
「タオルです。社長も、どうぞ」
「悪いな、助かるよ」
「あ、ありがとう。でもエリアの今の格好だと、先生みたいに見えるな」
「イヤ、彼女は牧師だよ」
「わたしはまだ、牧師見習いですよ、久慈樹社長」
ラベンダー色のスーツを着た彼女は、制服姿の時よりも落ち着いているように映った。
「牧師か。牧師ってのは、女性でもなれるんだな」
キリスト教の宗派など、いまいちピンと来ないボクは何となく浮かんだ疑問を口にする。
「カトリックの司祭は男性のみで結婚すら許されないですが、プロテスタントの牧師は女性でも就くコトが可能なんです」
凛とした表情のエリア。
「もっとも男性の聖職者を中心に、女性牧師を認めたがらない人たちも、けっこう居ますケドね」
「そうか……日本でも、女人禁制の山や神社もあるからな」
実際、どこまでを差別であると定義するかは、その人間の捕らえ方次第なのだ。
「電車には、女性専用の車両だってあるし、わたしはあまり気にしてませんよ」
「牧師には、昔からなりたいと思っていたのか?」
タオルで髪をガシガシ拭いていると、エリアはバックヤードに何かを取りに戻る。
「いいえ。と言うか、今でも牧師なんて、ならなくても良いのであればなりたくはありません」
「それじゃやはり、お父さんのコトで?」
会話は、教会の白い壁越しでも成立した。
「はい。確かに父が大切にしていた教会を、守りたいという想いはあります」
再び姿を現したエリアは、3本の傘と花束を両手にボクの前を通り過ぎる。
「先生……付いて来て、くれますか?」
「え……ああ」
「傘は、これを使ってください」
ボクと久慈樹社長に、男物の傘を差し出すエリア。
自分は真っ白なパラソルを広げ、雨の中へと歩き出した。
「墓参りか……誰の墓だろう?」
ボクはそう呟きつつ、渡された傘を広げる。
雨は先ほどよりは小降りになっており、黒に近かったグレーの雲も白よりになっていた。
すると白いパラソルは、墓地の片隅にある小さな墓の前にて停まる。
「ここは……母の墓なんです」
エリアが言った。
小さな墓標には、『Eana ganyu』と刻まれている。
「キミのお母さんは、病気かなにかで?」
「いいえ、自殺です」
墓に水色の花束を捧げる、少女。
遠くの雲が、白く光っている。
ゴロゴロと雷鳴が、遅れてやって来た。
「じ、自殺って……」
「母は、公立中学の教師でした。数学の教師だった母は優しい性格で、生徒である子供たちにも好かれていたんです」
「それが、どうして!?」
「教民法の施行が決まった日、母は抗議の為に校舎の屋上から身を投げました」
教民法反対の機運が高まっていた当時、ボクや久慈樹社長はまだ高校生でしかなく、先生たちのストライキなどの行き過ぎた抗議を、冷めた目で見ていたモノだ。
「『教師が教民法に抗議して、身を投げた』と言うニュースは、新聞か雑誌かで知っていだケド、まさかエリアの母親だったなんて……」
「ですが、母の抗議は新聞の片隅に小さく載っただけです。その日の表紙も相変わらず、教民法施行の話題一色でした」
マスコミは、彼女の母親の死よりも話題性の高いニュースを選んだのだ。
「結局、母の死は無駄死にだったんです……」
白いパラソルの向こうから聞こえて来る少女の声は、僅かに震えていた。
前へ | 目次 | 次へ |