英雄の幻影
「皇女殿下が、サタナトスより告げられた話を伺いました。この魔王は……我が妻の……」
両腕を広げ、自らの身体を盾にする隊長の顔は、涙でグシャグシャだった。
「どうして……なんでだよォ!?」
苛立ちを隠せない、舞人。
パレアナの仇である魔王に向け、振り上げた剣を降ろすコトは容易では無い。
「舞人。お前の剣は、この男の心を、ほんの一部でも救ってやれるハズだ」
赤毛の少女が言った。
「シャロリュークさん……英雄って、なんですか?」
それは英雄に憧れた少年が、英雄になって始めて抱く疑問だった。
「英雄ってのは、国を救い仲間を助けて悪を滅ぼす、太陽みたいな存在じゃないんですか?」
「そう……だな」
言葉を詰まらせる、シャロリューク。
「英雄なんてモノは、人々が作り上げた理想の幻影だ」
「英雄が……幻影?」
耳を疑う、少年。
「都合よく仲間を救えた時も確かにあったが、それ以上に人が死ぬのをたくさん見て来た。救えなかった仲間が、大勢いたってコトさ」
それは、理想と現実の隔たりでもあった。
「死んで行った仲間の骸を踏み越え、立っているのが英雄だ。本当に国を救ったのは、死んだヤツらなのかも知れないのによ」
「ご主人サマよ、魔王を解き放ってやれ。妾にそうしたように……」
「魔王と化したオレを、救ったように……」
「ぐっ……パ、パレアナァァァーーーーッ!!」
少年は、泣きながら、叫びながら剣を振り降ろす。
剣撃は光となって隊長の肩越しに抜け、背後の魔王を貫いた。
オオカミの姿をした魔王、『マルショ・シアーズ・フェリヌルス』は、閃光に包まれる。
「こ、これは……魔王が!?」
舞人とパレアナが拾われ、同じ時を過ごした教会の聖堂に、三人の少女の姿があった。
「シャロリューク殿、クーレマンス殿、舞人殿」
オオカミの様に尖った耳をした、灰色の髪の少女たちを胸に抱く隊長。
「どうかこの娘たちを、わたしに育てさせてはいただけませぬか?」
「ああ、好きにするがいいさ。そうだろ、舞人」
「はい……ウウッ」
少年は剣を打ち捨て、泣き崩れる。
「よう頑張ったの、ご主人サマよ」
「ルーシェリ……ルーシェリアァァァーーーーッ!」
蒼く晴れ渡った空に、蒼き髪の英雄の叫びが響いた。
それを無言で見守っていた、全身が筋肉の鎧で覆われた男は、坂を降り街中の酒場へと向かう。
「まったく……酒でも飲まなきゃ、やってらんねえぜ」
クーレマンスは、両開きの木の扉を押し抜け、カウンター席に座って酒を注文した。
「デカい図体をして、昼間から酒を浴びているとはな……」
しばらくすると、筋肉男の隣の席に一人の剣士が座る。
「なんでェ。戻っていたのかよ、雪影。首都の魔王は、片づけたのか?」
「ああ、苦戦はしたがな……」
剣士は小さな陶器の器に注がれた、透明な酒を飲んだ。
「王都はどうなった。やっぱ、荒れ果てちまってるのか?」
「そうだな。王城は崩れ、付近は廃墟となってしまった。それに五大元帥どもが、次期女王になるであろう皇女を巡って、派遣争いを始めてな」
「国土が荒れ、国民が焼き出されてるってのに、権力闘争かよ」
「そちらは、どうなっている?」
「因幡 舞人の、幼馴染みの娘が死んだ」
「そうか……」
透明な酒に、剣士の姿が揺らめいて映る。
「オメーは確か、東の国の将軍だったんだろ?」
「昔の話だ。国を失い、仕えた領主も姫も護れずに、死なせてしまった」
「オレっちも元はと言えば、ある島の海賊の親玉だったんだぜ」
クーレマンスが、大きな口を小さく開いた。
「でっけえ艦で近隣の国や村を襲っては、極悪非道を繰り返す毎日だった。それがアイツにコテンパンにされてよォ。そん時、大勢の部下も失っちまったさ」
「因幡 舞人は、どうしている?」
「さあな。もう一度、立ち上がれるかは解らねえぜ」
「再び……剣を交える必要があるのやも、知れぬな」
剣士は、筋肉男の隣から去って行った。
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