エル・マタドール(闘牛士)
「じゃあ行くぜ!」
紅華さんはダラリと右腕を下げると、ボクを抜きにかかる。
ボールに触る回数が多い……厄介なドリブルだな。
ボールタッチが多ければ、それだけ方向を変えるタイミングが増える。
「オレの本気がどれくれェか、試してみろよ」
左脚だけを使い、巧みにボールをコントロールする紅華さん。
身体を使って、ボクの視界からボールを見えなくする。
マ、マズイ……抜かれる!?
抜かれたら、紅華さんはチームに入ってくれない。
サッカーは、一人じゃできないんだ!
「クッ……コイツ!?」
ボクは身体を当て、進路をギリギリ塞いだ。
接触(コンタクト)プレイは、そんなに得意じゃないみたい。
「ナマイキな。だったら、コイツはどうだ?」
紅華さんは、ダブルタッチ……エラシコとシザースの、連続技を仕掛けてきた。
うわわわ、ボールが脚に付いて行ったり、行かなかったり!?
細い脚が交互に出る度に、ボールの在り処を確認する必要に迫られた。
……と、とにかくボールに集中するんだ。
身体の動きに、惑わされちゃ行けない。
「コ、コイツ意外に……冷静じゃねえか?」
ボクは紅華さんの息が、少しずつ息が上がって来ているのを感じた。
あ、フェイントのボールが、脚から離れた?
ワザとなのかも知れないが、ボクは勝負に出る。
「な……お前ッ!?」
紅華さんの身体と、ボールの間に自分の体を強引に割り込ませた。
ピンク色の髪のドリブラーは、バランスを崩し尻もちを付いて倒れ込む。
やった、ボールを奪えばボクの勝ち……。
そう思った瞬間、紅華さんの長い脚が伸びる。
つま先でチョンと触られたボールは、コロコロとジャングルジムの方へと転がって行った。
ああッ!?
転がるボールに追いつくコトは出来ず、ボールは鉄パイプの遊具を通過する。
負けちゃった……。
これじゃ、紅華さんは仲間になってくれない。
倉崎さんの期待にも、答えられなかった。
ボールを拾い、トボトボと帰ろうとすると後ろから声がした。
「言っとッけどよ。お前の勝ちだぜ」
振り返ると紅華さんが、学生服に付いた砂ぼこりを払いながら立ち上がっている。
「ルールは、『オレがお前を抜いてゴールを決めたら』だからよ」
……え?
「お前を抜いてないんだ」
紅華さんは、悔しさを滲ませる。
「ゴールを決めたところで、ドリブラーとしてはオレの負けだ」
『ブン、ブン、ブン、ブン、ブン!!』
ボクは、おもいっきり頭を振った。
これが試合なら、ドリブルで抜かれなかったなどと、言いわけできない。
「何だよ、人が負けを認めてやってるってのに、否定しやがって」
ピンク色の髪の高校生に、ボクはヘッドロックをかけられる。
「この勝負、オレの……」
「一馬の負けだ」
急に、何処からか声がした。
「かつて、『エル・マタドール(闘牛士)』と呼ばれたドリブラーがいた」
公園に植えてある木の影から、サングラスの男が現れる。
「彼は完全にディフェンダーをかわさないで、次々にゴールを決めた。母国・アルゼンチンを初のワールドカップ優勝に導いた、男の名は……」
「『マリオ・ケンペス』……知ってるよ」
紅華さんは、男に向かって言った。
「倉崎 世叛。まさかマジでアンタのチームの、スカウトだったとはなあ」
あ、倉崎さんだぁ!
「キミには、ドリブラーとしてのこだわりがあるのは解かる。だが現代サッカーに置いて、ただドリブルが上手いというだけでは通用しない」
「言ってくれるねえ」
紅華さんは学生服のポケットに手を入れ、倉崎さんに近寄った。
「オレは似たような指導者に、何人も遭ってきたぜ。ドリブルはするなってよ」
「ドリブルは必要だ。サッカーは結局のところ、一対一の積み重ねだからな」
倉崎さんも、サングラスを外し歩み寄る。
「局地戦で負けまくっていれば、戦争には勝てない」
「なんだ……意外に話が解かるじゃ……」
「だが現代サッカーに置いては」
倉崎さんは、紅華さんの言葉を遮った。
「ドリブラーにはサイドアッタカーの役割が求められ、同時にフィニッシャーとしてゴールを決めるコトも要求される。場合によっては、司令塔としての役割もだ」
倉崎さんは、右手を差し出し言った。
「紅華 遠光。正式にキミを、スカウトしたい」
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