茜雲
大茶会は、満場の人々の歓声や拍手と共に幕を閉じた。
笑顔の客人たちが、次々と会場を後にする。
千乃 玉忌の姿も、いつの間にか消えていた。
「……オレは、全てを失った」
そんな中、一人席を立つ事さえ出来ないでいる男。
「親父が築き上げた会社も、醍醐寺の家の名誉も……何もかも全て」
「何じゃ、情け無い顔をしおって……」
呆然自失の醍醐寺 草庵の前に、一人の老人の姿があった。
「親父……! ど、どうして、ここへ?」
「なあに。『あまり発育の良くない、ナース娘たち』に誘われてのォ」
草庵は目の前の老人を見たが、咄嗟に目を逸らす。
「……親父……済まない。俺は……」
老人は何も語らなかったが、全てを承知していた。
「見たか草庵よ。この会場におった観客達の、笑顔を……」
「……親父? ああ……」
「ワシは、醍醐寺の企業を創業するときに誓った……ハズじゃった」
老人は深く、ため息を付く。
「『どれだけ利益を出せるかを自慢する会社』なんて、作りたくない。『どれだけ人を笑顔にしたかを自慢できる会社』を創りたい……とのォ」
「親父……」
息子は初めて、父親の想いを始めて知った気がした。
「最近は醍醐寺も、ギスギスした家になってしもうたのぉ。孫達にも随分と苦労をかけたわい。それもこれもワシとお前が、下らぬ喧嘩なんぞおっ始めたせいじゃがな?」
老人はニカッっと笑う。
「今日はワシもウチに寄る。この劉庵自らが、茶を点ててやるわい!」
「お、親父……すまない。すまない……ウウ……」
「また一から、出直しじゃ」
舞台の上の親子の仲直りは、ひっそりと幕を閉じた。
「なあ渡辺。醍醐寺のオッサン、なんでヘンな爺さんの胸で泣いてるんだ?」
舞台袖で生徒会長が、眼鏡の少年に質問する。
「オレが知るわけ無いだろ。大人には色々と、大変な事情があるのさ」
「お父様……」
醍醐寺 沙耶歌は、子供の様に泣く実の父親を見つめ続けた。
「あれ? お爺ちゃん、何で居るの?」
「こらフウ! お爺様でしょ!」
その義妹である『浅間 楓卯歌』と『浅間 穂埜歌』の双子姉妹も、傍らにいる。
その頃、一人の少女が学校の屋上へと続く階段を登っていた。
立ち入り禁止の看板のある扉を、すんなり通り抜けて屋上へと出る。
「……お母様」
少女の瞳に映った女性は、夕陽を眺めていた。
「美夜美かえ……フン。今日は、あのメガネの小僧にしてやられたわ」
千乃 玉忌の言葉を聞き、少女は頭を下げる。
「申しわけございません、お母様。美夜美は、お母様の邪魔をしてしまいました」
そこに千乃 玉忌の姿はなく、大きなキツネが七本もの尾を翻しながら、立っていた。
キツネは、夕焼け色に染まる娘の顔を見て、ニヤリと笑う。
「付け上がるでないわ。尾も二本しか生えておらん小娘如きが、本気でこの妾を邪魔立て出来たとでも思っておるのかえ?」
「お母様、それはどう言う……?」
「妾は、山へは還らぬ。このまま人間界に留まって、奴らの行く末をあざ笑ってやるつもりじゃ」
キツネは、紅い空へと駆け上がる。
「お前も妾の娘ならば、オメオメと山に還れるなどと思うで無いぞえ?」
ビルの向こうへと消えて行く母親の後ろ姿に、今までとは違った清々しさを感じた。
「ありがとう、お母さま。わたしも……頑張らなきゃねっ!」
千乃 美夜美は踵を返し、生意気な後輩の元へと向かった。
(あの小僧め、妾に殺されかけておきながら……ククク)
キツネは、空を駆けながら思った。
(妾もあの男、醍醐寺 草庵と同様に、何かに取り憑かれておったのやも知れぬのォ)
「……ん。あれは?」
極者部の仲間と、大茶会の後片付けをしていた渡辺は、ふと体育館の窓の向こうの空を見上げる。
「どうしたんだ、渡辺?」
「窓の外に……」「何かいるの?」
橋元と双子が質問した。
「いや、気のせいだったみたいだ」
夕焼けで赤く染まる雲の合間に、キツネが舞っていた様な気がしたのだ。
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