茶会の終焉
渡辺の周りの畳には、いつの間にか抹茶茶碗がいくつも置かれている。
「『抹茶茶碗』とは茶道において、最もシンプル、最もオーソドックスにして、個人の趣味嗜好が最も反映する品と言って過言ではないのです!」
極者部のメンバーによて、今度は大量の美少女フィギュアが畳に乗せられた。
「……けれども、それは所詮、器に過ぎない!」
渡辺は、ブツクサと呟きながら、抹茶茶碗にフィギュアを入れ、角度を変えながら眺める。
それは彼が普段、茶道部の部室で行っている光景と変わりなかった。
「抹茶茶椀が生み出す『調和』の小宇宙に、存在意義を与えるのが、この『フルーちゅナイト・いちごちゃん十二分の一サイズ』なのです!!」
「……言っている意味が、まるでわからん!」
舞台袖から聞こえた、チャラチャラした生徒会長の声に、会場は笑いに包まれる。
渡辺はそれを、清々しい笑顔で聴いていた。
「抹茶というのはですね……実は最初は、眠気覚ましとして輸入されたんですよ」
会場の笑いは次第に収まり、暗がりの観客席は茶道部・部長の説明を静かに聞く。
「最初に取り寄せたのは、お寺でした。日々辛い修行をする、若いお坊さんたちの朝の眠気覚ましに使われたんです」
「へエ~そうだったんだ、フーミン」
優しい先パイの声が、絶妙な相槌を入れてくれた。
「はい、先パイ。有名な千 利休や村田 珠光も、茶人であると同時にお坊さんでもありましたからね」
「それじゃあ、わたしたちが醍醐寺で教わった……」
「堅苦しい作法が、最初っからあったワケじゃないの?」
浅間 楓卯歌と浅間 穂埜歌も、眼鏡の先パイに問いかける。
「そうだよ、フウカちゃん、ホノカちゃん。利休や織部をはじめ色んな人の想いが、茶の湯を文化として確立していったんだ」
渡辺の手元にあった、藤色の抹茶茶碗には、いつの間にか抹茶が点てられていた。
(ナゼじゃ……ナゼあの小僧が、生きておる!?)
その姿を、後ろから凝視している女がいた。
(あの小僧は、妾が直接手をかけ殺したもうたハズ。それに美夜美……どうしてお前まで)
女は、目の前で後輩に笑顔を向ける、実の娘を睨みつけた。
醍醐寺 草庵は、既に心ここにあらず……といった表情で、目も虚ろに淀んでいる。
渡辺は真に対峙する相手が、この『千乃 玉忌』である事を理解していた。
「……はじめまして……」
経営コンサルタントの女の方へと、歩みを進める。
「実際には、貴女は既にオレのことをご存知かとは思いますが」
女は意表を突かれた。
(此奴、妾の正体をバラす気ではあるまいな。もしそうであれば、喰い殺してくれる!)
だが眼鏡の少年は、『藤色の抹茶茶碗』を女の前に置いただけだった。
「心を込めて、抹茶を点ててみました。どうか……呑んでやって下さい」
周りはどうして渡辺が、理事長である醍醐寺 五月や、醍醐寺の社長である草庵を差し置いて、社長の付き人にしか見えない女に、抹茶を差し出すのか不思議に思う。
女は疑った。
(妾をハメる罠かえ。抹茶に何ぞ、魔を封じる水でも使っておるのか!?)
「この藤色の抹茶茶碗……千乃 美夜美先パイが、好きな茶碗なんです」
「だってナマイキな後輩に、始めた買ってあげたモノだから……」
狐は驚いた。
眼鏡の少年の隣に立ち、自分を見つめる少女の目は、優しさに満ちている。
「ナゼじゃ、ナゼお前は……人間などの味方をする!?」
目を吊り上がらせ、怒りを現す女。
「人間も、悪い人ばかりではありません、お母さま」
「それが、どうしたと言うのじゃ。人間の世とは、善良な人間を悪徳な人間が支配するモノぞ。この学園で行われているコトなぞ、その縮図に過ぎんわ」
千乃 玉忌は、激しく息巻く。
「妾は、人の世の理(ことわり)を持って、人の世を支配してやろうと言うのじゃ」
「戦国時代において、茶道具一つが一国一城よりも価値を持ったことさえありました。人の価値観や物の価値なんて、不変ではありません」
「妾に説教を垂れる気かえ。元は人間同士が招いた災いであろうに……」
「お母さまがやろうとしているコトは、お母さまの大嫌いな悪辣な人間の所業ではありませんか!!」
「……ッ!!?」
娘の真剣な瞳に、向き合うことが出来ない狐。
「先輩は、美少女フィギュアにしか興味が無かったオレに、茶道を教えてくれました」
眼鏡の少年が、僅かにほほ笑む。
「もっとも美少女フィギュアは、今でも好きで集めてるんですけどね」
「美夜美、お前が……かえ?」
「はい、お母さま」
「……どうぞ」
渡辺は、静かにうなずいた。
千乃 玉忌は、素直に抹茶を呑んだ。
「これは、何とも……美味いのォ」
女の頬に、一筋の涙が流れ落ちる。
大茶会は、満場の人々の歓声や拍手と共に幕を閉じた。
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