経営権
『醍醐寺 草庵』と『醍醐寺 五月』夫妻の、穏やかな顔に観客は盛大な拍手を送った。
事情を知らない観客達にとっては、この夫婦が長年対立を続け、現在においては別居生活をしている『仮面夫婦』だとは、夢にも思わないだろう。
「アレが残して行った娘たちも、子供だとばかり思っていたが……いつの間にか、こんな茶を点てられるようになっていたとは……」
醍醐寺 草庵は、浅間 楓卯歌と穂埜歌の二人に、亡くなってしまった過去の妹の顔を重ねる。
「お前はどう思うのだ。今のわたしのしているコトは……」
草庵の妹は、過去に男と駆け落ちをし醍醐寺を出て行った。
二人の間に双子が生まれ、彼女たちが小学生になったときに悲劇は起きる。
「伯父さま、母は言ってました。わたしの兄さんは、素晴らし人だって」
「でも、そんな兄さんを裏切ってしまって、申し訳ないと……」
「アレが……そんなコトを?」
最愛の妹を失ってから、草庵は心をかたくなに閉ざしていた。
「くだらない男に騙されたばかりに、悲劇に遭ったのだと思っていたが……」
「お父さんも、醍醐寺の名前を汚してしまったコトを、後悔してたよ」
「でもその分、ちゃんと幸せにならなきゃって……」
「何が幸せだ!? アレまで死なせてしまって……」
「交通事故は、お父さんに非が無いって証明されてるよ」
「対向車のトラックの、居眠り運転が原因だって!」
「春流歌は……もっと幸せに、生きるべきだったのだ」
草庵も事故の原因が、二人の父親に無いコトは理解していた。
けれども、いくら頭で理解していても、心が許せなかった。
「草庵様ともあろうお方が、いけませんねェ!!」
草庵の背後から、気味が悪いほど高く気にさわる声がする。
「『情』などと言う下らない感情に流されていては、企業の……ましてや日本を代表する巨大企業・醍醐寺のトップに君臨する資格はございませんわ」
千乃 玉忌は目を細く吊り上げ、草庵を見降した。
「何だとッ!? 貴様、たかが経営コンサルタントの分際で、出しゃばりおってッ!」
「あら? ……まだお気づきになられませんの、草庵様?」
草庵が振り返ると、女は口を大きく歪めて笑っている。
「な、何の……事だ!?」
草庵には、女の言っている意味は理解できなかったが、本能的に得体の知らなさに怯えてもいた。
「草庵様の会社、醍醐寺の株式……既に四十パーセント以上が、我が経営コンサルタントの『親会社』のものですのよ?」
草庵の瞳には、キツネの様な顔の女が映る。
「バ、バカな……そんな筈はッ!?」
大勢の観客の見ている目の前で、立ち上がった。
「貴方様の手で介護施設に押し込めた、先代の社長である醍醐寺 劉庵から、会社を譲渡されるに当たって、税金対策のために重役の方達にも、随分と株式を分配なさったのはご存知ですよねえ?」
「それが……どうし……た……?」
醍醐寺 草庵は、女が発した言葉を理解し蒼ざめる。
「……草庵様は、わたくしの進言するままに、『先代社長の時代からの重役』を切り捨てて来られました。その方々は現在、我がコンサルタント会社の親会社におりますのよ?」
草庵は『してやられた事』に、やっとこの場所、この時点で気付いた。
「親会社などとッ! ……どうせ『実体の無いペーパーカンパニー』だろうに!」
「あら、その辺は抜かりございませんわ。ちゃんとした実体のある企業ですのよ? 少なくとも、貴方様の支配する今の醍醐寺の様な、ブラック企業ではございませんわ」
女は、男の首に腕を絡ませ、背筋の凍りつく様な声で妖しく言い放つ。
「自分の愚かさ、無能さに気付かず、会社を乗っ取られたバカな二代目……貴方様に最も相応しい『称号』だとは、思われませんかぁ?」
「ウ……ウソだ!? そんなに簡単に、経営権を奪えるハズが……!?」
男は椅子に座ったまま、全てを失ったことを理解する。
その時、体育館の扉が開いた。
扉の向こう、逆光を背に入ってきたのは、渡辺だった。
「……みんな、待たせてゴメン!」
眼鏡の少年は、覚悟を決めた表情をしていた。
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