セレブの住む街
ボクは、スマホに表示された『家庭教師の求人』を見て考える。
「スマホでもパソコンでも気軽に、ユークリッドのわかり易い授業を全科目、無料で見れるんだ。先生だってリストラされるご時世に、家庭教師なんて雇う家庭、かなり減ってるみたいだけど……」
この時代に家庭教師を雇うのは、ゲームなどに夢中になり過ぎて、動画で勉強をする気がまったく無い子供か、不良で荒れている子供かの、どちらかが多数を占めていたからだ。
「流石にそれは……」
ボクはスマホをポケットに仕舞うと、職安の席を立った。
近くを流れる川の土手を通る小道を、肩を落としながら歩いてると、新たな考えが浮かんで来る。
「でも……どちらの理由であっても、教師を必要としているんじゃ無いか?」
川は冷たく気持ちよさそうに流れていて、夏の川縁には草が生い茂っていた。
ボクは時折、顔に纏わり付いてくる小さな羽虫を払いながら、河川敷まで降りる。
「熱血教師が、生徒を選り好みしてどうすんだ!!」
コンクリートの河岸に横たわって、スマホを太陽がギラつく真上に上げると、求人の登録ボタンをおもいきってタップした。
直ぐにメールの着信音が鳴り、登録完了のメールが届く。
「さて……鬼が出るか、邪が出るか……まずは面接だろうな。先方もボクを気に入ってくれなきゃ、雇ってはくれんだろうし」
その日は、それで一仕事終えた気分になり、コンビニで発泡酒と好物のハッシュポテトを買ってアパートに帰宅する。
「アイツにも安上がりな好物だって言われたが値段は関係ない。好きなものが偶々安かっただけだ」
まずはポテトを頬張り、少し温かくなった缶のタブを開け、ささやかな酔いを味わった。
次の日、参考書を買い、ユークリッドを見ながら教え方のコツを研究する。
けれども、先方からは一向にメールは届がない。
一週間が過ぎ、二週間を迎え、遂にアパートを引き払う期日も差し迫った折やっと、面接の日程を知らせるメールが届いた。
その間も、教育系の求人を探し続けたが、ただの一件も見つからない。
「面接の場所は……この駅で降りるのか? 余りに連絡が無いから、次の企業面接も入れちゃったよ。まあ、面接が上手く行くとは限らないが……」
面接は、むしろ上手く行かない場合の方が多かった。
学校の教師になりたかったボクにとって、それ以外の職業に付くコトは妥協でしかなく、ベテランの面接官たちは、それを見透かしたかの様にボクを不採用とした。
「いかん。いかん。これから面接だってのに、落ち込んでもられないな。家庭教師……か。一体、どんな雇用形態なんだろ? 個人契約なのかな?」
目の前で両開きの扉が開くと、ホームドアも開いて次々に人が雪崩れ降りる。
ボクも、地下鉄独特の匂いがするホームに降り立った。
「この匂い、昔から嫌いじゃ無いな。でも、二時過ぎなのにそれなりに混雑してるなぁ。周りは、随分とセレブな地区らしいが……」
金持ちが暮らす街でも、容赦なく急な階段で地上に出る。
「やっぱ、とんでもなくお洒落な街だな」
そびえ立つ高層マンション群が、ボクをバカにし見降ろす様に出迎える。
「3Dの地図アプリで確認は済んでるが、実際に見ると凄いな。有名デザイナーが、建物も公園も、街を丸ごとデザインしたってだけのコトはある」
周りには、煌びやかで上品ながらも気取り過ぎない女性や、ブランド物のスーツをさりげなく着こなし、高級外車のドアを優しく開けてあげる男性がいた。
「……うう。就活でくたびれた安物スーツなんて、場違い感ハンパ無いな……」
みんなボクなどには目もくれず、優雅に自分の生活を愉しんでいる。
自分が、完成された絵画に描かれた、質の低い落書きの様にも感じられた。
「今はそんなコトを、気にしたって仕方ないか。面接の場所は……この先のカフェか? 随分と変わった場所で面接するんだなぁ」
3D地図アプリに案内されたボクが、行き着いた場所は、小洒落たカフェの前だった。
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